1967年,京葉港第一次埋め立て地に建設された本校や周辺地域は,2011年3月11日に発生した東日本大震災により大きな被害を受けた。本校の校庭には,地割れや液状化現象が発生し,近隣の歩道はひび割れ,至る所で電柱が傾いていた。
この経験から,防災についての考え方を見直すとともに,地域と学校が連携した防災訓練や避難所体験,特殊なビニール素材を使っての炊き出し等,防災に関わる様々な活動を継続して取り組んでいる。また,防災教育についての研修会を開き,防災教育に関わる知識の習得,災害発生時の緊急対策マニュアルの改訂,児童の実態や発達段階に応じた「防災教育」の実践に取り組んでいる。その中で,教科指導の防災教育,特に算数科における防災教育とはどうあるべきかについて考え実践した。
単位量あたりの大きさ(5時間扱い)
小単元名 (時数) |
時配 | 主な学習活動と内容 | 評 価(方法) |
---|---|---|---|
復習と準備運動 (1時間) |
1 |
・既習事項の復習 |
|
単位量あたりの 大きさの導入 (1時間) |
1 |
・大きな災害により教室が避難所になったと想定し,混みぐあいを比べることにより,本単元の学習課題をとらえる。 ・単位量あたりに着目する考えを理解する。 |
単元の学習課題をとらえることに取り組もうとしている。 (行動観察) 単位量あたりに着目する考えを説明しようとしている。 (発言・ノート) |
身のまわりの 単位量あたりの 大きさ (1時間) |
1 |
・単位量あたりの大きさをもとにして,ガソリンの量と車の走る道のりを比べる。 ・単位量あたりの大きさを調べて比べることが日常生活には多くあることを知る。 |
単位量あたりの考えを使って,2つの観点から量の大きさを比べることができる。 (ノート) 日常生活に単位量あたりの考えがあることを理解する。 (発言・行動観察) |
人口密度 (1時間) |
1 |
・千葉県と埼玉県の面積と人口から混みぐあいを比べ,人口密度という用語を知る。 ・身の回りから単位量あたりが使われているものを見つける。 |
人口密度の意味について理解する。 (発言・行動観察) 身の回りから,関心をもって単位量あたりが使われているものを見つけようとしている。 (発言・ノート) |
人口密度の 考え方の活用 (1時間) |
1 |
・大きな災害で本校体育館が避難所になった場合,体育館の床面積と避難者数から1人あたりの専有面積を求めたり,混みぐあいを考えたりする。 |
避難所になった体育館の画像から,避難所の混みぐあいや1人あたりの面積について関心をもとうとしている。 (発言) 体育館が避難所になったことを想定し,体育館の床面積と避難民の人数から,収容人数を求めることができる。 (ノート) |
(1)「もしも教室が避難所になったら」
単元の導入では,東日本大震災で避難所となった学校の教室の写真を提示し,「袖西小の教室が避難所になったら…」と児童に投げかけ,教室に何人の避難者を受け入れることができるのかについて考えた。
教室には何枚の畳を敷き詰めることができるのか,畳1枚に何人座ることができるのか,何人横になることができるのかを,実際に教室に畳を敷き,畳に座ったり寝転がったりする体験活動を通して「子どもなら畳1枚でいいけれど,体の大きな大人だったらせまいと思う」「荷物置き場はどうするの?」などと,気がついたことを自由につぶやかせ,実際に教室が避難所になった時の様子を想像しながら「畳1枚あたり」「1人あたり」について考えることができた。まずは「畳1枚あたり」「1人あたり」で教室に受け入れ可能な人数を算出したが,「寝転がったり荷物を置いたりするスペースを考えると,最低でも1人あたり畳3枚が必要だ。」という児童のつぶやきから,児童らが考える「現実的な数値」をもとに,教室に受け入れ可能な「現実的な人数」を計算することができた。
算数の授業で学んだことに,防災教育をからめた体験活動を通してわかったことや気がついたことを取り入れること,授業で学んだ「単位量あたりに着目した考え方」に,教室を避難所に見立てた「体験的な活動」を融合させることで,「防災の視点からもう一度計算し直してみる」といった算数の学習の深まりと,算出された数値から実際の避難所の様子を想像し,児童なりの避難所対策を考えるきっかけとなったことによる防災教育の広がりを見ることができた。
(2)「もしも体育館が避難所になったら」
人口密度の考え方を活用する学習は,教室ではなく体育館で授業を行った。東日本大震災の時,本校の体育館が避難所になった事実をもとに,「体育館には何人の避難者を受け入れることができるだろうか。」という課題を設定し,学習活動に取り組んだ。畳の表面積と体育館の床面積を実測し,導入の既習を生かして「畳1枚あたり」をキーワードに体育館に何人の避難者を受け入れることができるのかを計算した。
計算では約270人受け入れることができることがわかったが,その時「実際は270人も受け入れることはできないと思う。」とつぶやいた児童がいた。震災当日,本校の体育館に避難してきた児童のつぶやきである。このつぶやきが出なければ教師から発問する計画であった。ここから授業は急展開していった。
「この計算では,体育館全体に畳を敷き詰めて考えたけれど,実際には人が行き来するための通路が必要だし,荷物を置く場所も必要だ。」
その分のスペースをひき算した結果,100人も受け入れられないことがわかり,結果に驚く児童。そこに,教師から以下の発問をし,児童の思考に揺さぶりをかけた。
「震災当日,体育館に避難してきた人数は約300人。」
計算した数値と現実が違うことで「なんで?!」「そんなのおかしいよ!!」と悩む児童に,なぜ受け入れることができたのか考え,話し合うように指示を出した。
「ぎゅうぎゅう詰めになってすわっていたから約300人も受け入れることができたのだろう。」
児童の言うように,1人あたりの専有面積を縮小すれば300人の受け入れは可能である。しかし,
「避難したのは1日だけで,東北地方の被災地のように長期間受け入れたわけではない。」
「たった1日の避難だったら,ぎゅうぎゅう詰めでも300人の避難者を受け入れることができるかもしれないけれど,長期間の避難となると厳しいと思う。自分だったら耐えられない。」
この話し合いを通して,本校の体育館が避難所として使われたのは1日だけだったということ,他の地域と被害の大きさに違いがあったことから避難所の様子が大きく異なり,算出した数値と現実とのギャップに気づくことができた。
最後に,教師が「長期間体育館に避難することになり,100人以上の避難者が体育館に集まってきたらどうするの?」と発問をしたところで授業を終わらせた。
この授業が終わった後,児童らは自ら率先して,単元の導入時に算出した「教室が避難所になったときの避難者の受け入れ人数」に教室の数をかけて,学校全体の受け入れ可能人数を計算していた。意図的にオープンエンドにしたことで,児童の「知りたい意欲」を高め,主体的な活動を促すことができた。
単位量あたりの考え方を使って,避難者の受け入れ人数を計算することで,避難所の様子を予想することができ,また,数値化だけでは見えてこない避難所の実際の様子を考えるよい機会となった。
今回,算数科における防災教育の在り方について実践に取り組んでみて,算数の授業を通して防災への意識を高めることが十分可能であることがわかった。また,防災教育を視野に入れた指導計画や教材を設定し授業を展開することで,算数の学習に必要感をもたせ,算数の学習意欲を高めることができた。このことから,算数と防災教育はスパイラルの関係にあると言えるだろう。そして,自然災害のメカニズム等を説明する手段として,算数・数学を無視することはできず,むしろ算数と防災教育は密接な関係にあると言えるだろう。
いつ起きるかわからない災害に対して,常に高い意識をもち続けるためには,防災教育を継続していく必要があり,日々の防災教育だけでなく,教科と防災教育の連携・融合が重要になってくるだろうと考える。
自然災害が起こる限り,この実践が終わることはない。今を生きる子どもたちのために,今後も継続して研究実践に取り組んでいきたい。