今年3月に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は,未曽有の大震災となり,あらためて日本の大地の成り立ちについて科学的視点を培う重要性を示した。くしくも,広島では,ちょうど10年前の平成13年3月24日午後3時27分,広島県沖の斎灘(安芸灘と一般にいわれているが,正しくは斎灘)を震源としてマグニチュード6.7(気象庁マグニチュード,Mjで表す)の地震が発生し,今年は10周年にあたっていた。広島では,それに先立っていろいろなところで,この芸予地震についての防災問題がクローズアップしかけていたが,東日本大震災の影に隠れてしまった感がある。しかしながら,この芸予地震はあとにも触れるように,再来性の高い(あと約40年後?),大きな被害を出してきた地震であることからけっして油断できない地震であり,瀬戸内海西部に生活する人々にとっては重要視すべき地震である。こうしたことから,今後ともこの地震についてはきちんとした理解を深めさせておきたい。
この地震の震央の位置(図1)からは,内陸部で発生した直下型地震のように見えるが,これはフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込む場所,すなわち,プレート境界型の地震で,プレート内部の破断による地震である(図2)。したがって,再来期間の短い地震といえ,過去150年間で4回,約50年間隔で発生している。
とくに,1905年6月4日に発生した芸予地震は,マグニチュードが7~7.5,震度は6程度で,死者は11人とされている。これだけの大震災であったにもかかわらず,折から日露戦争中の日本海海戦(5月27,28日)終結直後に日本海軍の呉軍港を襲った地震であったため,今日ほど報道もされず,それが,「広島は地震が少ない」という誤解さえ生じる原因にもなっていた。広島市などでは将来の芸予地震に備えて,震度予測など,震災対策を講じているが,それによると,広島市内の三角州地帯の震度予測は震度6弱~6強となっており,大きな被害を発生させる地震といえる。
「大地の変化」の地震についての単元での学習では,日本付近のプレートの運動によって地震が発生していることを学んでいるが,これをもっと身近なこととして考えさせる教材として,芸予地震を取り上げている。
(1)理科年表をもとに,地震の記録年表を用意し,芸予地震の震央の位置を白地図上に記入させ,発生年とマグニチュードも記入させる(図3上)。
(2)マグニチュードと西暦年の入った年表を用意し,発生年とマグニチュードを記入させる(図3下)。
(3)発生の仕方の特徴(位置が似通っていること,発生年の間隔がほぼそろっていること)から,この地震の原因について考えさせ,次回の地震の発生時期(2050年頃)を推定する。
(4)芸予地震についてのスライドを視聴し,この地震のメカニズムが,沈み込むフィリピン海プレート内部の破断によるものであることを説明する。
(図1)芸予地震の震央分布
(図2)芸予地震の震源と余震分布
地下40~50km付近に南北に余震が集中し,その最北部に大きな○印がある。ここが芸予地震の震源で,ここから沈み込むフィリピン海プレートの内部が南に向けて破断し,芸予地震が発生した。
発生年 | 震央の緯度・経度 | M | 名称・場所 |
---|---|---|---|
1605年 |
33.5,138.5 33.0,134.9 |
7.9 7.9 |
南海道沖 〃 |
1649年 | 33.7,132.5 | 7.0 | 伊 予 灘 |
1686年 | 34.0,132.6 | 7~7.4 | 安芸・伊予 |
1707年 | 33.2,135.9 | 8.7 | 宝永地震 |
1857年 | 33.0,135.0 | 8.4 | 安政南海 |
1857年 | 34.0,132.5 | 7~7.5 | 倉橋島南方 |
1905年 | 34.1,132.5 | 7~7.5 | 芸予地震 |
1946年 | 33.0,135.6 | 8.0 | 南海地震 |
1949年 | 34.1,132.7 | 6.2 | 斎 灘 |
2001年 | 34.1,132.7 | 6.7 | 芸予地震 |
(表1)過去の芸予地震と南海地震(宝永地震含む)の発生年と規模,震央位置
(図3)芸予地震の震央分布 作図の例
【参考文献】