本校では,子どもが主体的・自律的に学ぶ「奈良の学習法」を大正期より実践している。戦後,教育構造を「しごと」「けいこ」「なかよし」と再編成して現在に至っている。
「主体的で対話的で深い学び」について考えた時,授業と授業の間に子どもが動くかが重要であると考える。例えば,しごとの学習があった日から次のしごとの学習がある日の間に,子どもが何も学習せずに動かないのでは,主体的に学習をしているとは言い難い。学習が主体的になると,授業が終わっても自分の興味があることや,疑問に思ったことなどについて調べたり考えたりするようになる。独自学習を主体的に行い,その過程や結果を日記に書いてくる。子どもの意識がつながると,日記の内容が毎日の独自学習になる。観察したことや聞き取りしてきたこと,考えたことなどを毎日,もしくは一定期間連続して綴ってくる子が多くなってくる。これが授業と授業の間で「子どもの学習が動いている」状態であり,学習が子どもの生活の一部となることを実感できるのである。
このように,学習が子どもの生活の一部となることを,「奈良の学習法」では「○○的生活」と呼び,しごとの学習を通してならば「しごと的生活」を子どもが実践できるようになることに力を入れて取り組んでいる。
しごとの学習を,
「子どもたちが眼を輝かして全身全霊を打ちこみ,自分たちの問題を協同して解決していく活動を通して,自然や社会に対して目が開き,生活を科学的,合理的に解決し改善していく学習である」と捉えている。したがって,子どもたちが,物や人の役割,働きについて目を開き自らの「社会」を広げ,追究が個性的な深まりをもつことを願うとともに「人々の生き方」に触れさせたいと考えて取り組んだ。
冬休み後に,子どもたちの視野を,身近な社会へとさらに広げるために「みつける」ことをテーマに,しごとの学習を進めていきたいと考えた。しごとの学習では,特に低学年では,手や足を使って学習することが大切だと考えている。子どもたちの身近な生活から学習を立ち上げ,いつでも足を運んで観察できて,体験できて,聞き取りもできて,学べることが重要である。これらを満たすものは何かと考えて,子どもの興味・関心を探った。
冬休み中の日記を読むと,クリスマスのこと,大掃除,餅つき,お正月の出来事,旅行したこと,遊んだことなど,楽しかった思い出がたくさん綴られていた。特にお正月についての記述が目立った。初詣に行ったことや,おせち料理を食べたこと,お年玉をもらったこと,凧揚げをしたこと等,家族や親戚とお正月を楽しく過ごしていた。しかし,「お正月やお年玉にはどんな意味があるのか」といった,行事の意味について意識している子は,ほとんどいなかった。そこで,子どもたちにとっては,毎年何気なく参加しているお正月の行事について,自分たちの生活とのつながりを追究することをねらって,「ぼく・わたしのお正月」の単元を設定した。
まずは,お正月にしたこと,見たこと,聞いたことを出し合うことから始めることにした。自分たちの生活と行事とのつながりを調べ,見つかった問いを考えることで,地域にくらす人々の願いや生活の変化について理解して,地域に根ざした文化を大切にする気もちを育てたいと考えた。
「とんど焼き」は,小正月の晩(1月14日),または15日の朝などに,村境などで正月飾り類を焼く火祭りの行事である。「どんど焼き」「左義長」「道祖神祭り」等,名称は様々で,行われる日も地方によって異なり,必ずしも一定していない。しかし,全国各地で地域に根ざした素朴なお祭りとして伝承されている家々から集められた注連縄や門松,わらなどを燃やすこの火祭りには,正月にやって来た年神様が煙に乗って帰っていく「神送り」としての意味がある。人々は火を神聖視して,火に大きな力を認めてきた。この火で餅・団子・繭玉を焼いて食べると,その年は病気にならない。書き初めを焼いて高く上がれば上達するとか,小さな袋を縫って吊し,裁縫の上達を祈願するとかの伝承もある。さらに,火の燃える音や煙の流れる方向で,農作物の吉凶を占ったりすることもある。こういった伝承は,全国に広く分布する。
しかし,「とんど焼き」は近年,市街地の都市化や条例による野焼きの禁止などによって,火を熾して餅や団子を焼いたり,注連縄や門松を燃やしたりすることは,かなり困難な状況になっている。1000年以上続いているお正月の伝統行事も,存続の危機に直面している。このような事実を,子どもたちはどう考えるであろうか。本単元の学習を通して,地域そのものに目を向け,先人の想いに触れながら,地域に根ざした文化を受け継いでいこうとする態度を育てたい。
冬休みが終わり,「ぼく・わたしのお正月」をテーマにして,お正月の経験や,聞いたこと等を出し合うことから,しごとの学習を始めた。「お正月」「お年玉」「おせち料理」「初詣」「門松・注連縄」などの意味を調べ,その内容を発表した。調べた内容はとても詳しく,まとめたら,詳しい年中行事の説明本になるのではないかと思うほどの,充実した内容に驚いた。お正月に関係する行事は,本来,全て年神様を迎えるためのものであることまで,子どもたちの力で突き止めた。
そんな中で,注連縄と門松について学習していた時,「注連縄や門松は,とんどやきで燃やす」と発言した子がいた。その発言を契機に,「クリスマスツリーや,雛人形などは,行事が終わると片付けるのに,注連縄や門松はなぜ燃やすの? もったいない,考えてみると不思議だ」ということになり,「とんどやき」について,詳しく学習することになった。この話し合いは,小正月が間近に迫っていた時だったので,時期的にも丁度よいタイミングだった。
1月の中旬を過ぎると,「とんどやき」を実際に見に行ったり,調べたり,両親や祖父母,地域の人にインタビューしたりと,活発に独自学習や相互学習に取り組んだ。独自学習が進み「とんどやき」の意味や,現状,問題点等にまで考えが及んできた。そして,「是非,私たちも学校で『とんどやき』をしたい」という声が上がった。しかし「危険だよ。本当にできるの?」という意見もあり,話し合いを繰り返した結果,「『1月(1年月組の略称・「いちつき」と読む)ミニとんど』をしよう」ということになった。2/1
(金)に実施することも決まった。これまでの話し合いの内容は,以下の通りである。
子どもたちは,「火について」と「近所への周知について」の大きく2つについて考えていた。
今日,わたしは,とんどやきについて かんがえました。みんなは,「大うんどうじょうの まん中で やろう。」と いっていましたが,大うんどうじょうの まん中は,たしかに,なにも ないけど,ほかのクラスが つかっているかも しれないので,がっこうに れんらくをして,みんなにも はなして みたいです。
先生は,2月1日を よていされているので,ほかのクラスの たいいくなどの がくしゅうが なかったら いいなと おもいます。
きょうは,でんわで おばあちゃんに とんどやきの ことを インタビューしました。インタビューして わかったことを かきます。
おばあちゃんの おうちの ちかくの S小学校で とんどやきを15日に やったそうです。子どもたちが しめなわを もってきてくれて,きんじょの大人たちが,火をつけたり もやしてくれたそうです。わらを たかく つむと 火が たかく あがるそうです。ぎゃくに,ひくく わらを つむと,ひくく火が あがるそうです。ミニとんどではなくて,大とんどを15日に やったそうです。あぶないから大人の人たちにも手つだって もらったそうです。ふつうは,14日と15日に じんじゃで するそうです。
わたしは,このはなしは,大とんどなので わたしたちが するときは,大人の人は こなくても いいと おもいます。でも,「せんたくものが くさく なりました」などの くじょうが きたら たいへんなので,きんじょの人には,「もやすので せんたくものに においが つくかも しれませんが ごりょうしょうください」と いわなければならないと おもいます。とんどやきを したいです。
話し合いをくり返し準備をして,ようやく2/1に「1月ミニとんど」を実施することができた。とんど焼きの火で焼いた餅を食べると,その年は病気にならない。書き初めを焼いて高く上がれば上達するという伝承があるので,書き初めを集めて燃やし,お餅を焼いてぜんざいを作ることとなった。プログラムは全て子どもたちが考えて,司会進行も子どもたちの手で行った。プログラムは,以下の通りである。
とんど焼きの火で焼いたお餅を使って,保護者にも協力してもらってぜんざい作りをした。
作り方は,事前に子どもたちが調べ・考え,話し合って決めた。
1年間大変お世話になった6年生を招待して,食事会を行った。
公開研究会が2月8日 (金)・9日 (土)
に行われた。1日目は,「1月ミニとんどをして考えたこと」について話し合った。実際に自分たちも「とんど焼き」をしてみて分かったことをまとめ,自分の思ったことを発表して交流をした。話し合っていく中で,とんど焼きを行うことが今の時代難しくなり,減ってきていることが改めて問題にされ,「どうしてとんど焼きをすることが,難しくなってきているのか」ということが,特に後半では,話し合いの中心になった。
1日目終了後の子どもの日記を紹介する。
今日,しごとの学しゅうで,T男くんが,じだいが かわってきていると,いっていました。だから わたしも,かんがえてみました。
むかしは,田んぼや,はたけしか なくて,いえなどは,ほとんど ありませんでした。だから,はたけなどで,かんたんに むかしは できましたが,いまは,いえが たっていて とんどやきを するばしょが ありません。だから,むかしから いまの じだいに,かわっているのだと思います。
おかあさんに,「なぜ,むかしは,かんたんに とんどやきが できたの?」と きいてみました。おかあさんは,「むかしは,1つの いえに,たくさんの かぞくが すんでいて,いえが すくなかったから,かんたんに とんどやきが できたのかもね」と,いっていました。でも,いまは,人びとが ばらばらに すむようになったので,おうちが ふえて,とんどやきを することじたいが,むずかしいそうです。
だから,わたしは,どうしても,年がみ様を,天に おくりたいので,その ぎょうじを,つづけてほしいので,こうこくなどで,ゆうびんやさんなどに たのんで,くばったらいいと思います。
あしたは,にっちょくなので,がんばりたいです。
今日は,学しゅうけんきゅう会がありました。ぼくの めあては,1月ミニとんどをしての みんなの い見をきくことでした。
みんなの いけんを きいていて J男くんは,にんげんが ざいりょうを なくしていると いっていました。ぼくは,こう おもいます。にんげんが すべて しぜんを こわしているとは おもいません。なぜなら にんげんも エコかつどうや,リサイクルかつどうを しているので,みんな にんげんの せいでは,ちがうと おもいます。
じゅうたくやビルが たって あきちも なくなって,たき火や とんども できなくなっているけど,ばしょや じかんを くふうしたり,すんでいる ひとたちが きょうりょくしたりして できる ほうほうが あると おもいます。
とんどやきをして,じゅんびや かたづけも たいへんでした。ふくや かみのけが くさかったけど,みんなの ねがいが,かなったり,むびょうそくさいの おねがいをする ぎょうじなので,のこしていく たいせつさを まなびました。
今日,テーマについて かんがえました。
今日,話し合いをしたときに,すすき田先生が,「明日のテーマは,どこにしますか?」と おっしゃいました。私は,「J男くんの ところから話し合いをすればいい」と思いました。でも,C女さんが,「T男くんの ところからやれば,いいんじゃない?」と いっていたので,「どっちにすれば いいだろう?」と ギモンになりました。あした,テーマについて,話し合いたいです。
私は,J男くんも,T男くんも あっていると思います。だからテーマを かんがえるのは,大へんです。
前の けんきゅうはっぴょうかいは,小さい こえで いっていたけど,今日は,はきはき大きな声で いえたので,うれしかったです。
子どもが主体的に学び追究が深まっていくと,自分たちで問題を発見していく。「こんな学習をしてみたい」「こんな問題を解決したい」という願いを抱くようになる。しかし,その願いは個人的で個人差も大きい。話し合いの学習では,一人ひとりの問題を学級全体の共通問題へとつなぐ指導が必要となる。
公開研究会1日目の学習の終わりに,T男が「おじいちゃんの子どもの頃は林や森林がいっぱいあったけど,今は大阪や東京みたいにどんどん国が都会になっていて,時代が変わっていって,エコがなくなっていっているので,とんど焼きが減っているんだと思います。」と発言した。この意見は後を引き,子どもたちによって持ち帰られて翌日の朝の会では,「この日の学習のテーマを何にするか」をみんなで決めることとなった。出された話し合いたいテーマは次のとおりである。
このような意見が出されたとき,Y男が次のように発言した。
【Y男】僕はN男君のところから始めるといいと思います。なぜなら千年以上続く行事はやめるわけにはいかないということを話し合うと,GH男君のこれからも続くようにという,Z女さんのどうやってか,あの,こうすればいいとかに変わると思うからです。どうですか。
ここで教師は,次のように指導に出た。
【教師】「ちょっと待ってね。今のY男君の話聞いた?本当に聞いた?先生,今,びっくりしたことがあるんです。みんなはどう感じたかな。あのね,今Y男君は,昨日N男君が言った,千年以上続く行事だからやめるわけにはいかないというところを話し合えば,ここ<T,板書の「これからつづけられるか」を指す> につながりますよって言ったんですよ。この意味がわかりますか。」
私は,追究したい学習問題を吟味してみると一見バラバラに見える問題でも,つながっていることに気づかせたかったのである。例えば①の問題を話し合ったとしても,それは②にも③の問題にも関連していて,どの問題にもつながっていることを指導した。すると,
【F女】「C女さんの『どうすれば続けられるか』もいいと思います。そして,やっぱりみんなの意見,T男君の意見,私が言った意見,M女さんが言った意見は,確かにつながっています。どうすればとんど焼きはこれから続けられるのかっていうのもテーマに合ってると思います。でも,やっぱり私としては,C女さんの意見もいいと思いますが,一番いいと思うのは,だいたい意味は一緒なんですけど,N男君が言った意見が気になります。」
という発言も出て話し合いは進み,最後は全員納得して学習テーマが「どうすれば千年以上続くとんど焼きをこれから続けられるのか」に決まった。
2日目終了後の子どもの日記を紹介する。
ぼくは,とんどやきを することに,はんたいでした。りゆうは,ゆうどくガスが でるからです。でも,このまえの かすがたいしゃの大とんどでは,プラスティックの かざりは,分べつされていました。かじの しんぱいも,しょうぼう団が たくさんきて あんしんでした。においも まわりに いえが ないので つく しんぱいは ありません。もんだいになっている ことが かいけつされたら,ぼくは,やってもいいと おもいます。
とんどやきが なくなったら,神さまが おくれないし,ふつうにゴミにだしたら ばちが あたりそうなので とんどやきが あったほうがいいと おもいます。
今日,「どうすれば 1000年いじょうつづく とんどやきを これからも つづけられるのか?」というテーマをもとに かんがえました。
みんなは,かいらんばんで まわせばよいと いっていましたが,わたしは,いえから いえへと,ぜんぶの いえには,かいらんばんで まわしきれないと おもいます。きのう,V女さんが,「田んぼや はやしが なくなってきているから,とんどやきは,できなくなる。」と いっていましたが,わたしは,そうは,おもいません。なぜかというと,じんじゃだけで やれば よいからです。MN男くんが きのう いっていたように,においの くじょうは,きにしないで いいと おもいます。なぜかというと,むびょうそくさい
(しあわせ) が くるからです。むかしと まったく おなじではなく,きぼを小さくすれば できると おもいます。
水よう日に みんなに,いけんとして だそうと おもいます。
みんなの いけんも きいて,もっと かんがえを ふかめようと おもいます。みんなの いけんが,とても たのしみです。
今日は,1000年いじょう つづいている とんどやきを つづけていくには どうすればいいかについて はなしあいました。わたしは,とんどやきを つづけていくには,ちらしやポスターをくばって みんなに しってもらったら いいと おもいます。
わたしは,まえ 大さかの こうづじんじゃの「とんどまつり」に いきました。とんどやきも していたし,とみくじやコンサートなども していて 人がたくさん あつまってきていました。じだいに あわせて わかい人にも とんどやきに きてもらえるように くふうしているんだなと おもいました。
とんどやきは,1年の むびょうそくさいを ねがって としがみさまを 天に おくる だいじな ぎょうじです。いまの人は しめかざりとか かどまつとかを かざったり,とんどやきに いくのも めんどくさいと いう人が ふえています。そういう人にも とんどやきの たいせつさを しってもらう きっかけとして おまつりやポスターで せんでんして じっさいに とんどやきに きてもらうと いいと おもいます。とんどやきの だいじさを わたしが大人になって その子どもや まごにも ずっと つたえて,ひきついで いって ほしいです。
今日も研究発表会でした。「1000年い上つづく とんどやきを,これからも つづけられるのか?」について,話し合いました。
私の かんがえは,「田んぼも へってきているし,もやす ざいりょうも へってきているし,とんどやきを する ばしょも へってきているけど,とんどやきは,ぜったい つづいてほしいなあ!!」と思いました。
そのためには,まず,とんどやきに くる人にルールやマナーを よく しってもらうために よびかけないと いけないと 思います。前 ニュースで「とんどやきに もってくる人が お人形など,もやせないものを もってきている」と いっているのを,思い出しました。S男くんが,「今に あうルールを かんがえればいい」と いっていたので,それとともに かんがえていきたいです。
きょう,へいあんじだいが どんな じだいなのか しらべると おもしろいことが でてきました。
へいあんじだいで きぞくの人の たいせつな おしごとは,200いじょうの年中ぎょうじを おこなうことでした。うらないや めいしんを しんじていた きぞくたちは しきたりどおりに することで くにの へいわを まもれると かんがえた そうなのです。ぎしきの こまかい さほうを 日きに かいて,じぶんの しそんに つたえていたそうです。
それで ぼくは Y男くんの いっていた でんとうぎょうじが かわってしまうと いうことについて かんがえました。かわりすぎると だめだと おもいますが ちょっと かわっても 年がみさまは おこらないと おもうので つづけて いったら いいと おもいます。
ぼくは,いままでの かんがえ・しらべの力を だせたと,思いました。なぜなら,テーマを じぶんたちで かんがえだしたからです。
2月9日は「なくなったら,もうそれでいい。」と いっていたけど,みんなは「ぜったいに しないと。」と いっていたので,いまは,ぜったいに しないと と,ぼくも思いました。みんなの力って すごいと 思いました。
ぼくは,あまり とんどやきの おしらべを していません。でも,みんなの おかげで,とんどやきの ことが わかって うれしいです。これからも,いい学しゅうを つづけたいです。
子どもの考えをつないで,学習問題を立てていくのは教師の役割である。教師がつないで子どもの意見を焦点化して,共通問題へと導く。すると,子どもの学びがより本質に迫るようになる。それが共同で学ぶ価値だということを子どもに伝えることで,子どもの学びは深まっていく。
2月14日に「ふりかえり」を書いて,「とんどやき」の学習に区切りをつけた。この学習は,1000年以上続いているお正月の伝統行事も存続の危機に直面している場所も多くあるという事実を,子どもたちはどう考えるのか。この学習を通して,地域そのものに目を向け,先人の想いに触れながら地域に根ざした文化を受け継いでいこうとする態度を育てたいと願って取り組んだ。ちょっと難しい課題だと感じていたが,子どもたちは粘り強く,私の予想をはるかに超えた学びが展開できた。
しごとの学習は,学んでいる事象を通して,人が (人間の生き方)
見えてこなければならないと考えている。今回も「とんど焼き」という事象や,実際に「ミニとんど」という体験をすることを通して,それに携わる人や,人の願いまで迫ることができた。1年生でも,これだけの深い追究ができることを実感できた実践となった。