生物学の魅力とは何であろうか?私たち自身の体について考えるという,学門としての身近さももちろん魅力のひとつである。しかし,私が思うに,ここ近年で最も進歩の速い学問であるというのがやはり生物学の魅力ではないであろうか。生物学は,古代のギリシア時代のアリストテレスの博物学に端を発すると言われているが,ワトソンとクリックによるDNA二重らせん構造の提唱(Watson and Crick, 1953)から始まる「生物学ルネサンス(私の造語であるが)」からの生物学の進歩はすさまじいものがある。DNAの複製のしくみ(Meselson and Stahl, 1958),遺伝子の転写・翻訳の仕組みの解明のみにとどまらず,遺伝子組換え(Cohen et al., 1973),ゲノム編集(Daudna and Charpentier, 2014)といった遺伝子工学の発展により,われわれ人類は思い通りのゲノムをもつ生物を作製・デザインすることが可能となっている。この70年あまりでここまで学問が進歩しており,かつ現在も進行していることが生物学の一番の魅力ではないだろうか。つまり,まだまだ分かっていないことがたくさんある,探究しがいのある学問である。これら遺伝子工学や細胞工学などの最先端の技術は,いつの間にか日常生活にありふれている。特にコロナはそれを加速させた。例えば,PCR検査,mRNAワクチンなど。これからの時代を生きていく子どもたちにはこれらの技術のしくみや応用例などの最低限の知識を身につけてほしいと切に願う。このように思いたったのは,私が教育実習の際に「クローン技術」に賛成の生徒がクラスのほとんどであったからである。彼らは本当に,クローン技術の良い点,悪い点を理解して賛成しているのか疑問に思ったのである。そして,教育実習から10年余りが経ち,その間にiPS細胞の普及,ゲノム編集技術の開発などと,年々生物学は発展している。しかし,最先端の生物学とはいえ,英語の論文などで発表された技術などが日本語の教科書などに載るまでに数年かかる。事実,大学生物学ではおなじみの「Molecular Biology of the Cell」が日本語版の「細胞の分子生物学」に訳されるまでに約2年ほどの歳月がかかる。よって,教育現場では,最先端の生物学について遅れをとらないためにも,英語をツールとして活用した生物学を届け,最低限の知識を身につける必要があると私は考える。
手始めに,高校1年生の生物基礎の授業ではワトソンとクリックの原著論文から触れてみる。DNAの構造についてしっかり勉強したのち,彼らの1ページ半の論文の所々に私が注釈を加えたオリジナルのプリント(図1)を配布し,大事な箇所を一緒に訳してみる。英語ばかりの論文に比べて,注釈があるだけで興味を持って読んでくれるのである。
また,私はできるだけ研究者の顔写真を提示しながら授業を行う。科学者のエピソードには生徒たちはとても食いついてくれる。(山中伸弥教授の際には実際にもらったサインを見せながら。:図2)
場合によっては,「iBiology」というサイトでは実際にワトソンをはじめとした著名な研究者が実際に話している様子を動画で見ることもできるため,それを授業で見せることもある。
図1 Watson and Crick,1953に
注釈を加えたオリジナルプリント
図2 山中伸弥教授にいただいたサイン
こうした活動を通して,生徒たちが読んでいる教科書は様々な研究者が積みあげていった功績の積み重ねであることがよりリアルに伝わる。
クローン技術やiPS細胞という言葉は聞いたことがあるよね,そもそもバイオテクノロジーとはどのような技術があるのかな,という導入から入り,これらの技術を紹介していく。これらの用語をアニメやゲームなどの世界で聞いたことがあるという生徒たちも多いが,もはやこれらの技術はSFではないことを伝える。特に,クローン技術→ES細胞→iPS細胞という技術の進歩の流れは,それぞれの技術のデメリットを克服しながら進歩していく,ということを熱意をもって伝える。そして,最終的には生徒たちに,これらの技術について賛成できる点と反対である点を挙げてもらい,様々な考えを持つクラスメイトと意見を交わす(図3)。クラスの雰囲気によっては,討論になることもある。この活動を通して,クローン技術やゲノム編集などの,一見素晴らしい技術にも危険性があるということについて考えることで,生徒たちは「生命倫理」について考え,自分としての意見をもってほしい。
図3 授業で使用するプリント(左),および生徒たちの意見の抜粋(右)
高校2年生の生物選択者には,さらにレベルの高い取り組みを試みた。夏休みの課題として,実際の論文を1つ好きなものを選び,それを訳した上で要約するといった課題を課した(図4)。もちろん,Google ScholarやPubmedといった論文サイトからの論文検索方法についても教える。この課題はチェックする教員側も大変であるが,さすがは生物選択者であり,生徒たちはきちんと取り組んでくれ,案外チェックする方も楽しいのである。
図4 課題の説明プリント(左),および生徒の論文の抜粋(右)
図5 フランソワ先生による化石講座
1964年のオストロムによるデイノ二クスの発見から始まったとされる「恐竜ルネサンス(こちらは私の造語ではない)」からの恐竜学の進歩も凄まじいものがある。特に,恐竜の分類のうち竜盤類獣脚類からの鳥類への進化については現在では強く支持されている。さらにはティラノサウルスの寿命,羽毛の有無,子育てをしていた可能性,トリケラトプスの成長過程,幻とされていたデイノケイルスの全身復元の研究など,ここ最近の恐竜学で解明されてきたものは数多い。本校は男子校であり,恐竜へのあこがれや古代へのロマンを感じる生徒が多い。私自身,生物学を志したきっかけは恐竜だったということもあり,授業ではいつも熱が入る。さらに最近では,最前線で古生物学の研究をしているフランスのフランソワ・エスクイリエ先生を招いて講義を行ってもらっている。そこでは英語による最先端の恐竜学についての講義を聴くことができ(同時通訳も通訳者によって行ってもらっているのだが),また,さらには実物の恐竜化石に触れることもできる(図5)。
教員という職は毎年同じことを繰り返し教えているように言われることもあるが,決してそうではない。現場の教員はどの教科も毎年毎年,教え方に工夫を凝らして準備をしている。今回は,私の専門である生物学に焦点を当てて書いてみたが,実際自分が高校生だったときから比べると,PCR技術やiPS細胞は当たり前のように教科書に載っているし,フロリゲンの正体や細胞骨格についても新たに教科書に追加されたりと,教えることは年々更新されている。また,総合型選抜対策のために「今年のノーベル賞」を授業内で解説することなども必要となってきている。こうして,教員が楽しく学ぶ姿勢を見せることで,生徒たちが学ぶことの楽しさを追求していってほしいと感じる。そして,最終的には学問の壁というものはなく,英語で学んだこと,国語で学んだこと,化学や物理で学んだこともつながってくると気付いてほしい。そうして,巨人の肩に立ち,今後の学問の世界に生徒たちが飛び込んでほしい。
【参考文献・参考サイト】