高等学校の「化学基礎」の中で,生徒にとって最も「理解」が難しいものは「物質量」である,とよく言われる。その主な原因は,次の4点であると考えられる。
以上の中で特に②の内容が「抽象的」であることは,生徒の「理解」を難しくする要因となっていると考える。
私は「物質量」について生徒の「理解」を促進する指導法の工夫を長年にわたって行った。その間,「脳科学」や「認知心理学」等に興味をもち,「理解」・「分かるということ」に関するいくつかの論理を学び,指導法に応用してきた。「理解」とは「イメージ化ができることである」という論理が印象に残り,「イメージ化」による指導を研究した。
今回は「イメージ化」の1つの方法として,「図」を用いる指導法を紹介しつつ,新たに考察を加えたい。
「理解」「分かる」ということは,「長期記憶」の中から学習した内容(「情報」)を「思い出す」ことができる事を意味する。その時「記憶」の中の「情報」が「イメージ」として存在することが重要とされる。
例えば,「リンゴ」という言葉を聞いた時,多くの人は,球状で赤い色の「リンゴ」を思い出す。更に,「リンゴ」の味も思い浮かべることができる。それは「リンゴ」を食べた経験から「リンゴ」に関する「情報」を記憶し,「イメージ」を作れるからと言える。即ち,「理解」には「イメージ化」が伴うものである。
教科等の学習においても,言語の意味や数学的な公式等,学習した内容が「長期記憶」に「イメージ化」され,その「情報」が「思い出される」ことが重要である。
学習内容が一時的な「短期記憶」に保存された状態では,記憶された「情報」は「忘却能力」によって失われてしまう。学習内容としての「情報」が「長期記憶」保存されることが「理解」の第一条件である。注意するべきことは「長期記憶」に保存された「情報」が「思い出せる」ことが「理解」であるという点である。
又,「情報」は意識されてはじめて「情報」となる,という事が「認知心理学」で述べられている。例えば,自分の横を自動車が通り過ぎても,その「事実」だけでは「情報」とはならず,意識されなければ「記憶」されない。自動車が通り過ぎたという「事実」を「意識」して,「情報」にすることで「記憶」される。更に,その色・形・スピード等,意識される「情報」が多い程豊かな「情報」の「記憶」となる。
私は,「理解」の成立にとって,「情報」をより「長期記憶」に保存しやすくし,同時に「思い出しやすくする」方法として,記号や図等に「イメージ化」することが有効である,と考える。
このように,グラフ・図・記号等の形状・色をもった「情報」にすることで,「理解」を促進することを「イメージ化」と定義しておきたい。
{mol}を単位とした「物質量」の概念は,その基本に「原子量」の計算における「相対質量」の考え方が基本になっている。見えない世界で原子の質量を比較すること自体極めて「抽象性」を含んだものである。従って,「物質量」の定義自体,生徒は「理解」しにくい。
「アボガドロ数N」の定義は「原子の『相対質量』の基準である質量数12の炭素原子12Cの12〔g〕に含まれる炭素原子の数」と記述されている。この「抽象的」な「アボガドロ数N」を用いた『1モル〔単位記号:mol〕』の定義を行わざるを得ない。従って,「物質量」の定義自体が「抽象的な概念」である事実が,生徒に「物質量」の「理解」を難しくする根本的な要因である。又,「アボガドロ数N」とは別に,「1〔mol〕当たりの粒子の数6.02×1023〔/mol〕を『アボガドロ定数NA』とする」との指導展開も,生徒にとって「アボガドロ数N」と『アボガドロ定数NA』との違いを熟考させてしまいかえって「混乱」を招く原因となっているように考えられる。
以上のように,「物質量」は,基礎的定義の段階で「理解」の難しさを抱えた指導内容(「情報」)である。
「物質量」の定義と共に,「物質量」と原子・分子・イオンの「粒子数」との関係を「イメージ化」してみた。基本的に,「物質量」と「粒子数X」の関係を,相互の「量の換算」と考えさせ「図示」した。
先ず,「1〔mol〕=NA{個}の集団」という基本概念では,NAという数がポイントであることを「理解」させる必要がある。それには,個数をまとめて数える場合の基本的な「定数」(以下,「基本定数」)の重要性を「理解」させることが重要である。この「基本定数」という概念の「イメージ化」を図った。「基本定数」の例として「1〔ダース〕=12〔本〕」を用いる場合がある。しかし,この「ダース」という「単位」は,次の2点に課題がある。
従って,「ダース」を単位とした例示は「物質量」に展開しにくい。
「基本定数」を「10」として「1〔箱〕」という「単位」を用いる例も考えられる。しかし,この場合は「基本定数」の「10」から「NA」に展開する際,数値の隔たりが大きく,意外に「理解」されにくい。
そこで私は,「単位」と「基本定数」の例に「1〔クラス〕=40〔人〕」という関係を挙げた。その結果,「物質量」と「粒子数」及び「NA」との関係性の「理解」に効果があった。それは,以下のことが要因と思われる。
以上のことから,最後に「物質量n〔mol〕」と「粒子数X 〔個〕」の関係を以下の〔図1〕ように図示することで「イメージ化」を図った。尚,指導の際に矢印「→」が「変換」及び「換算」の方向を表すことも示した。この段階では,板書で「図示」した。
「物質量」と「質量」の関係を指導する場合,「物質量」と「粒子数」との関係を基本的概念として,常に確認することが重要であった。
「物質量」と「質量」の関係を指導する場合,以下の点が課題となった。
特に③において,「モル質量」と「原子量・分子量・式量」を全く異なるものとして扱うことが,より「混乱」を招いている事実に気付いた。そして,「原子量・分子量・式量M 」と「質量W 」との関係を直接的に重視する指導が重要である,と思われる。
尚,具体的には,身近な物質である水H2O を例にしながら指導展開することで「理解」が深まることも分かった。コップ1杯(180〔mL〕)の水を例に挙げて,コップ等を図示して発問しながら指導することは有効であった。
このように,常に具体化を図りつつ,以下の〔図2〕のように示して「イメージ化」を図った。この段階でも「板書」で示した。
「物質量」と標準状態における「気体の体積」の関係の指導において,以下の点が課題となる。
「体積」を「言語」としては知っていても,「量的な概念」として「理解」している生徒は意外に少ないことがある。黒板に風船を描き,気体の粒子を「丸○」で描くことで「イメージ化」を図ると効果的である。
「体積」の「温度」による影響は「理解」しているが,「圧力」による影響を「理解」している生徒は意外に少ない。従って,前述の風船等を用いた「イメージ化」による指導で行い,「内圧」「外圧」についても「熱運動」との関係を「矢印⇒」で表すことが,「イメージ化」には有効であることが分かった。
但し,課題④・⑤については,簡単に触れることで対応するしかない。この時点で「状態方程式」について詳しく触れることは,かえって「混乱」を招く恐れがあった。
更に,「物質量」と標準状態における「気体の体積」の関係を指導する場合,以下の課題が考えられた。
特に,課題④の指導を重視しつつ,「基本定数」の考えとして「モル体積」を扱うことで対応した。22.4という数値は「ニニンガシ」(2×2が4)という例えを示して印象付け,「イメージ化」を図った。
以下,同様に〔図3〕のように,「物質量」と「体積」の関係を「イメージ化」した。この段階でも,板書による図示を行った。
「情報」は意識されて初めて「情報」となる,という「認知心理学」の理論がある。私はそれを受けて,「情報」には「深さ」がある,と考える。例えば,自分の横を自動車が通り過ぎた時にその事実を意識しても,「通り過ぎた」というのみの「情報」か,自動車の色・形・車種等より多くの「情報」を意識したか,では「情報」が異なる。意識する「情報」が多い程「深い情報」と言える。従って,学習においても同様のことが言える。従って,「物質量」と他の複数「量」の関係を関連付け「深い情報」とするには,より効果的な「イメージ化」が必要と考える。
それにはこれまで「理解」した「情報」を有効に活用する必要がある。即ち,これまで「イメージ化」に用いた「図」を有効活用し,「図」を統合することが有効である。「イメージの融合」と呼ばれる現象である。その結果,「物質量」「粒子数」「質量」「気体の体積」の関係の指導では,「イメージ化」の際に次の点を留意した。
「粒子数」「質量」「気体の体積」の量の関係を示す前に,「物質量」を中心として「粒子数」と「質量」の関係の「イメージ化」を図った。「物質量」が量の換算の基本にあり,「物質量」を学ぶ意義の確認となる。具体的には〔図1〕・〔図2〕を統合した〔図4〕を作成して「イメージ化」を行った。この段階でも,板書で示し,他の2つの量の関係を生徒に考えさせる機会を与えた。
最後に「物質量」を中心に位置付けて〔図1〕・〔図2〕・〔図3〕を融合して,「物質量」「粒子数」「質量」「気体の体積」の関係を「イメージ化」し,〔図5〕を作成し,プリントにより配布した。
〔図5〕は,「物質量」を用いた「化学反応の量的関係」に応用できる。小単元「化学反応式」において2物質間の「物質量」が化学反応式の「係数」から求められることを学ぶ。この小単元を学んだ生徒の一部に2物質間の具体的な量の関係を求められない生徒が生じる。
この際に,【物質A】【物質B】の2物質について,〔図5〕を用いて各物質の係数をa,bとし,以下の〔図6〕を示すことで「イメージ化」ができる。ここでは,それぞれの「換算式」等を省略したものを示す。
「物質量n 」・「粒子数X」・「質量W 」・「気体の体積V 」の関係を〔図5〕による「イメージ化」によって「理解」した生徒は,〔図5〕を展開した〔図6〕の「理解」が極めて早い。その結果,多くの生徒が〔図5〕による「イメージ化」を前提にした〔図6〕の「イメージ化」によって,「物質量」の定義を含め,2物質間の量的関係を「理解」する場合が多かった。
〔図5〕による「イメージ化」の効果が,2物質間の関係に発展した場合の「理解」に反映されている。
更に,〔図5〕及び〔図6〕における「各量」の関係や「換算式」を「理解」した生徒は,指導を行っていなくとも,「自主的に」VAとVBの数値が直接係数a,bを用いて求められることに気付くケースが多かった。又,XA:XB=a:bであることにも気付く場合もあった。
意外であったのは,これらの関係を「自主的」に「発見」「理解」した生徒は,比例式で関係を示すだけではなく,自ら〔図6〕の「VA」「VB」間や「nA」「nB」間に「往復する矢印」を書き入れて「イメージ化」する能力を身に付けていたことである。このことは,「イメージ化」による指導には,生徒自ら「イメージ化」する能力を身に付けさせる効果があり,「理解」を推進する効果がある事を示している。
以上,単元「物質量」の指導において,「物質量」の定義から「各量」の関係(「換算法」)まで,図によって「イメージ化」することが有効である事実を示してきた。
〔図1〕から〔図6〕までを考案してから約数年が経つが,同時に「イメージ化」の課題も発見された。
これらの2点は,「図」という「イメージ」があまりにも強すぎることの弊害と言える。従って,これらの問題を生じさせない指導の在り方が望まれる。
以下,「イメージ化」を行う場合の指導上の留意点を挙げる。
「イメージ化」における指導上の留意点
以上の課題を解消するには,図による「イメージ化」を過大評価し過ぎないことが重要である。板書の色分けや図を用いた指導,写真やICTを用いた指導においても同様である。生徒に発問する等,「生徒」の「理解」状況を把握した指導が重要である。
発展的な提案として,「固定的な指導案」に従った授業展開を行うだけではなく,生徒の「理解」状況に応じた「柔軟な指導方法の展開」を行える能力を教員が持つことこそ「指導力の向上」に求められるものと考える。
参考文献