今回,授業実践記録の執筆依頼をいただいたのは,本校担当の方と「うちはこんな(軽い)感じで使ってますよ」というざっくばらんな会話がきっかけである。最初は,「ハイレベルな授業研究をされている諸先輩方と並んで私のような教員が執筆してよいものなのか」と恐縮していたが,話をよく伺うと,デジタル教材を活用している事例がまだまだ少ないことが分かり,「それならば」と思い書かせていただくことになった次第である。
私は本校に勤務して13年目,教科主任は4年務めさせていただいている。私自身,数学の専門分野で優秀な多くの諸先生方と違い,大学は機械工学科出身という数少ない経歴であるがゆえに苦労してきたことも多々あるが, 幸い(?)現在の新カリ1年目から授業づくりや評価システムの構築に携わらせていただいており,今年度がそのとりあえずの形ができる年である。
そして,私のような教員だからこそ,「今までの常識にとらわれずに新しいことを思い切ってやってみよう」という気持ちを大切に,他の先生方に協力をいただきながら新たな取り組みに挑戦することができている。
今回は,おそらく他校においても直面している諸問題に配慮しながら,本校の主に高等学校で実践してきたデジタル教材の活用方法を中心に,教科指導事例と私が大切にしている思いなどを交えて紹介する。若い先生方でもベテランの先生方でも参考にしていただけるような,なるべく敷居の低い記事(笑)にさせていただくので,最後までお読みいただければ幸いである。
本校はいくつかのコースに分かれており,そのコースによって,また授業によってデジタル教材の使い方も様々である。授業環境なども含めて,先に以下にまとめて紹介しておく。
特別進学コース(α・β) | 総合進学コース | |
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Libryで使用している デジタル教科書・問題集 |
●深進数学セット ●Focus Gold Smart (※全学年で導入中) |
●新編数学セット (※今年度より,第2学年で導入中) |
デジタル教材を利用する生徒は,例えば「深進数学〇セット」を全員購入し,授業と自主学習に活用している。授業においては,生徒は紙の教科書とデジタル教科書どちらを使用してもよいこととし,生徒に選んでもらっている。学年にもよるが,デジタル教科書の利用者が多いものの,紙の教科書を利用する生徒も一定数いる。また,生徒がどれだけ活用するかは,教員がいかに活用しているかに比例するようだ。
デジタル教材を利用する場合のルールとして以下を設定し,生徒に周知してから利用させている。
授業中の生徒の利用方法としては,以下のとおりである。
正解不正解の記録などについては自由にやらせているが,きちんと記録する生徒が多い。教員側がそれをチェックすることは基本的にない。
なお,ノートをとる,問題演習を行う際に紙とペンを利用することについては,別途項目4-③で述べる。
また,生徒がデジタル教材を利用するメリットとしては,以下の点があげられる。
もちろん,デメリットもある。例えば単純に画面を見る時間が増えるので,視力低下につながることは避けられない。生徒の様子を見ていると,1日中iPadを利用するため,バッテリーの消耗を軽減するために画面を極端に暗くしている生徒もいて,こういった点も指導が必要と感じている。また,生徒に聞いた話では,動作が重いときがある,書き込みの線がなめらかでない,長い解説だと見づらいなど,アプリが発展途上であるがゆえ細かい改善の余地は多くあるようだ。
しかしながら,これらのデメリットがあったとしても,どの生徒もデジタル教科書を利用したいという生徒がほとんどであった。
※上記内容は生徒にアンケートを取った結果も含む
本校におけるデジタル教材の利用については教員各自の裁量で行っているが,令和4年度にデジタル教材を導入してから,ほぼ全員が何らかの形で利用している。
授業中の教員の利用方法とその効果としては,以下のとおりである。
以上が,私たちが主に実践している利用方法である。新たな活用を始めた場合は,毎週行われる教科会でお互い報告するようにしており,他の教員の授業を見学することも私自身が積極的に行っていて,お互いに事前に断りなく突然見に行くことができるような雰囲気にしている。これにより,生徒の様子を学年関係なく把握することもできており,指導が必要な場面があったとしても協力して指導できる体制を整えた。
また,デジタル教材を利用することで実感しているメリットは他にも以下のような点がある。
こうして見ると,「ずいぶん楽をしている」,「そこは教員がやるべきだろう」と思う内容もあるかもしれない。それは長年,われわれ教員の常識であったのだから仕方のないことである。しかし私は今の時代,「今までの常識」や「教員はこうあるべき」ということを気にせず思い切って新しいことをやるべきだと考え実践している。なぜならば,そもそもデジタル教科書や3観点の評価方法を導入している時点で,今までの常識では通用しないからだ。教員の働き方改革が叫ばれている観点からも,教員の負担を減らすことにも貢献できていると私は思う。これについては,後述の項目5で述べる。
4年前のコロナ禍をきっかけに急速に普及したICT教育について,ここで少し私が感じていることを述べさせていただく。以前から本校ではICT教育を実践していたが,それをどの程度利用するかについては教員の裁量に任されている部分が多かった。ICT教育のメリットはすでにみなさんご存じのとおりであるので省略するが,この普及により指導の選択肢が極めて広範に,しかも手元でいとも簡単に可能になった。
しかしながら,できるからといって教員側がすべてやってしまうと,簡単に言えば生徒はやることが増えてしまい,しまいには本来生徒が大切にすべきことに時間をかけられなくなってしまう,ということになってはいないだろうか。具体的に言えば,課題配信や予習,復習,学習記録の提出などに追われ,「早く終わらせる」ことが目的の作業になってしまい,本来必要な「自分がやるべきことを,順序立てして計画的に行う」という力をつける妨げになってはいないだろうか。これは現在の3観点の評価システムの課題点にもつながることであり,後述の項目4-②,④で述べる。
また最近,生徒を指導していると,計算ができない,書くスピードが遅い,座標平面に点が打てない,などといった場面をよく目にすることが多くなっており,これもICT教育の弊害では,と感じている先生方も多いのではないだろうか。よく考えてみれば,例えば中学校の授業において問題を書き,基本的な計算練習をして答えが合うまで反復する,といったことにかける時間が減れば,このような現状になってしまうのも当然であろう。しかし,そういった現状でも大学入試で求められる数学の力はさほど変わっていない。
このような現状を踏まえ,私は本来の数学において必要なことはきちんと残す,ということを大切にしている。すでに実施されている学校も多いかもしれないが,以下で具体的に述べさせていただく。
Libryには実に様々な機能が備わっており,今までできなかったことが簡単に手元でできてしまうが,本校では,Libryの機能をすべて利用しておらず,「徐々に様子を見ながら使う」というスタンスで導入し,他の先生にも利用してもらっている。また,生徒の課題が多くなってしまう,というような負担もそうだが,教員の負担が増えてしまっては本末転倒であるので,例えば課題を配信しすぎてそのチェックに追われる,などということが発生しないようにしている。
Libryはあくまでデジタル教科書・問題集を閲覧することが基本,ということを念頭に利用することが,生徒にも教員にとっても大切なのではないかと考えながら,その機能を最大限利用させていただいている。
最近私が感じていることだが,ICT機器に頼りすぎているせいか,問題を正確に書き写せない,試験で見直しを正確にできない,などという生徒がよく見られるようになった。また,これもあくまで個人的な見解だが,すべてをICT機器で済ませるような習慣がついてしまうと,視野を狭めてしまうことにつながるのではないかと最近思うようになってきた。
今までは考えたこともなかったが,ノートやプリントに書くと,そこに書いてあること全体が見渡せるのだが,ICT機器だとどうしても必要な部分を拡大しなければならず,全体を見ることができない。大げさかもしれないが,そういった何でもないような動作の繰り返しが,実は生徒の人間として大切な能力の成長の妨げになっていないだろうか。
大学入試がすべてICT化されるようなことにならない限りは,私は紙とペンで書く時間を大切にすべきと考える。本校ではデジタル教材を導入する際に,ノートは従来のノートにとらせ,紙とペンで問題を解く,ということを教科内で共通認識として周知し,指導してもらっている。要は,こちらがそれぞれの良さを認識したうえできちんと使い分け,生徒と教員に徹底してもらうということが大切なのである。
ここで思い出していただきたいのだが,私たちが高校生の頃は,「課題」というものはほとんど出ておらず,必要であれば自分で参考書を買い,塾に行き,必要なことを自分で考えて当たり前のようにやっていた,という方が多いのではないだろうか。「そんなの当たり前」と思うだろうが,現在導入されている3観点の評価システムのための評価物として,課題や学習記録を提出させるというような現状が,生徒の本当の主体性を身につける機会を奪ってしまっているのではなかろうか。
大切なのは,その学校の生徒にとって適切な量の課題や評価物を,教員が十分吟味することだ。課題や学習記録そのものを否定するつもりは一切なく,実際本校においても,学習記録や計画などがきちんとできる生徒が良い進路実績を出している。ただ,当然そこで大切なのは,それをすべて与えられてやるのではなく,自分で考えてやっているということである。つまり,課題としてすべて与えられるべきではないということだ。
この点については,私自身も「課題の概念」について非常に考えさせられた。課題とは何なのか,何のために課すのかを,ある程度経験を積んだ教員こそ今一度考えてみることが必要ではないか。
デジタル教材の話からは少し逸れるが,私はよく生徒に「結局は自分でやろうと思わないと・・・」というような話をする。こちらが親切だと思ってやってあげることも,結局は生徒自身が必要だと思ってやろうと思わないと,本来得られるものも得られないのである。そういう気持ちの部分をいかに引き出してあげるかが,私たち教員の大切な仕事の1つである。デジタル教材の活用についても,「あれをやれ」,「これをやれ」と指示するのではなく「こんなこともできるよ」,「こういうことをやるといいよ」と紹介する程度にしておくのが,いろいろな意味で生徒にとってもわれわれ教員にとっても良いのではないか,と考えて指導している。
デジタル教材のさらなる普及には,長年諸先輩方が積み上げてきた「教員の当たり前」という概念の一部を,変えていかなければならないと考える。長時間教材研究を行い,板書計画をし,指導の順序を考え,自分の知識や手ですべて説明する,というような授業準備というものの常識の一部を,デジタル教材導入によって変えることができ,やがては教員の働き方改革にも貢献できるという認識を,教員全員で持てるようになるとよい。
もちろん,若手の教員を育てるという観点では,例えば理論を説明するための図がかけなかったり,生徒にとって見やすい板書ができなかったり,といった教員の資質として大切なものの一部が不十分となるようなことが起きてしまうことも想定されるので,少々難点かもしれない。また,どうしても教員という職業に就く人は,何でもできるオールマイティーな人間が望ましいというようなイメージがついてしまっているかもしれない。
しかし,今の時代はそれよりも,1人1人の得意なことを尊重し,不得意な部分は補い合い,適材適所で活躍できるような体制を整え,人材を確保していくことが先決だろう。そういった意識改革も,現在の教員不足や長時間労働などの課題を解決に導く1つの選択肢なのではないだろうか。
デジタル教材の活用事例として,現在私が感じている諸問題を交えながら述べさせていただいた。論点がテーマからずれてしまっている部分もあり,また,私の語彙力の足りなさのために大変読みにくく拙い文章となってしまったが,あまりに堅苦しく高度な内容の文章よりも,「こんな感じでなんとなく使っているよ」という雰囲気で伝わっていれば嬉しい。活用方法については常に模索しており,普段授業を行っている中でも新たな使い方を発見することもある。あまり「こう使う」と決めず,教員それぞれが自由度のある使い方をするのが良いのではないかと,個人的には思っている。ここだけの話,準備をあまりせずアドリブでやってみた時に思いついた方法が,案外良かったりする,なんてこともある。
今回の記事の内容について,1つでも「私もそう思っていたんだ」という点があり共感いただければ大変嬉しい。そして,この記事が多くの先生方にとって,デジタル教材活用,利用促進の一助となることを願い,ご意見ご感想をお寄せいただければ幸いである。また,参考になるか分からないが,授業見学などご興味がある場合はいつでも気軽にご連絡いただければ対応させていただく所存である。
最後に,今回このような機会を与えていただいた啓林館の方々にはこの場を借りて感謝申し上げる。