教育改革のとりくみ 目次

「大阪らしさ」を求めて
〜「なにわの伝統野菜づくり」に挑戦〜

大阪市立丸山小学校
松本 康克

 「大阪市学校教育指針」に「大阪らしさ」を生かした教育の推進が掲げられ,「大阪の歴史や文化を教材に主体的に調べるなど『大阪らしさ』を生かした教育を工夫し,未来の大阪に夢や希望をもつとともに,郷土『大阪』を愛する心の育成に努める」とめざす方向性が示されている。各校では,学校や地域の実態により,独自に取り組み内容・方法を工夫しながら「大阪らしさ」を追究している。

 本校では,平成12年度から大阪の伝統的な食文化を子どもたちに伝えたいという考えのもと,「天王寺蕪」の栽培を始め現在に至っている。菜園には「天王寺蕪(かぶら)」に関する説明版があり,「天王寺名産天王寺蕪,再現試作地」という記述や「天王寺蕪の特徴,栽培されていた時期・場所 , 食し方,栽培されなくなった理由」などが明示されている。

 四国の松山で到来物の「天王寺蕪」を待ちわびる正岡子規の『此頃は蕪曳くらん天王寺』という俳句も書かれ,盛んに栽培されていた頃のことが偲ばれる。

「天王寺蕪」に関する説明版

 また,宝暦6年(1756)に京都に遊学に来ていた長野県野沢村の健命寺の住職が「天王寺蕪」をふるさとに持ち帰り,栽培したものの中から突然変異株を見つけ,これが現在の「野沢菜」になったとする言い伝えがある。「野沢菜」のルーツが「天王寺蕪」であると言われていることはあまり知られていない。

 昨年度,「天王寺蕪」を植えている隣の畝で「野沢菜」を栽培し,類似点・相違点はどこなのか調べてみた。葉の形は似ていたが,葉(茎)の長さや大きさ,蕪の大きさに違いが見られた。子どもたちにも実物を見せ,違いに気づかせるようにした。数年前,「天王寺蕪」と「野沢菜」の関係から,本校と野沢村との交流会が実施された。

「野沢菜」の栽培

 さて,本年も9月中旬に5年生が,前「大阪府立食とみどりの総合技術センター」の職員で農学博士の森下正博氏,元漬物屋の石橋明吉氏の指導を受け,「畝づくり」や「天王寺蕪」の種まきを実施した。その後「間引き」「肥料やり」「雑草抜き」など体験し,現在(10 月末現在)直径2〜4p程度の蕪ができている。例年12 月〜1月にかけて収穫するが,その時,前述した関係の方々にも参加していただき,収穫祭を実施している。小さい蕪でも自分の育てたことに喜びを感じ,歓声をあげて蕪を抜いている子どもたちの光景がとても印象的である。

蕪を抜いている子どもたち

 収穫した蕪は,家庭科の調理実習などで食したり「なにわの伝統野菜フェスタ」に出品したりしている。昨年度も,「天王寺蕪」「田辺大根」「勝間南爪(こつまなんきん)」を出品し,「根強いで賞」をいただいた。本年度も出品予定をしている。

 
「天王寺蕪」
 
「田辺大根」
     
 
「勝間南爪(こつまなんきん)」
 
表彰状 「根強いで賞」

 また,6年生は,一人一人名札を用意して「田辺大根」の栽培に挑戦している。まだ,葉が10 〜20cm程の成長だが,白色・円筒型で長さ20cm,太さ9cmぐらいの大根の収穫が待ち遠しそうである。その他,特に教職員の若手育成の一環として,本校の管理作業員に講師を依頼し,「伝統野菜」の栽培についての研修会を実施した。若手教員をはじめ多くの教職員の参加のもと,2リットルのペットボトルの上部を切り落とした物を植木鉢代りに使用し,「日野菜蕪」「温海(あつみ)蕪」の栽培の仕方を指導してもらった。現在,7〜 10cm 程の葉が生長し順調に育ってきている。



 ちなみに本校での「なにわの伝統野菜(その他の伝統野菜を含めて)」の栽培の種類だが,春は「毛馬きゅうり」「勝間なんきん」「十六まくわ」「なんばねぎ」「水なす」「賀茂なす」,秋は「天王寺蕪」「田辺大根」「日野菜蕪」「なんばねぎ」「聖護院大根」「紅心大根」である。はじめての試みなので栽培のノウハウを持っていなく難しいので教職員を中心に育てているが,徐々に子どもたちの手で栽培できるようにしたいという構想を持っている。「なにわの伝統野菜」の栽培を通して,子どもたちに「地産地消」の意義を学ばせるとともに,郷土「大阪」を愛する心の育成に努めたい。


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