1903年のキュリー夫妻のノーベル賞受賞後,ラジウム研究所としてソルボンヌ大学(パリ大学)の一角に建てられた。物理化学部門と生物部門からなり,前者をキュリー実験所といい,マリー・キュリーが初代所長を勤め,その後,娘のイレーヌ・キュリー,その夫のジョリオ・キュリーと引き継がれた。後者はパスツール実験所という。ラジウム研究所は放射能研究の中心としてあまりにも有名である。その後,現在のキュリー研究所と名前が変わり,付近には放射線ガン医学,分子生物を中心としたトップレベルの研究施設や附属病院が立ち並んでいる。少し離れた市立物理化学工業学校の中庭の駐車場にラジウム抽出の場所があり,小さな記念碑がある。
このラジウム研究所の建物が博物館になっている。静かなたたずまいの中庭に入るとピエール,マリー夫妻の胸像がある。
展示室には,当時の実験装置の数々がガラス陳列ケースに収められている。ラジウム検出用の有名なランプスケール表示の電位計のほかは霧箱や電気計など人工放射能の発見でノーベル賞を受けたジョリオ,イレーヌ・キュリー夫妻のものが大部分であり,エレクトロニクスの粋を集めた現在の測定器から見ればよくもこのような単純な装置で仕事ができたものだと思う。
また,多数の研究論文や手紙類も紹介されている。展示品の解説はすべてフランス語である。アメリカから贈られたラジウムの入った容器もある。
隣にはマリー・キュリーの研究室がそのままの姿で保存されている。その部屋は主がいつ戻ってきてもすぐに机に向かって仕事ができる状態になっている。机の上には来訪者のための大きなサイン帳がある。また,引き出しにはキュリー夫人の使用していた黒い実験着がある。戸棚には放射性物質の入った瓶があり,ノーベル賞の賞状も無造作に家具の上に置かれている。
さらに,その隣の実験室は,放射能汚染のためこれまで閉鎖されていたが最近汚染除去がなされ,見ることができる。どこにでもある化学実験台と当時のままの実験器具があり,ノートには夫人の指紋も残っていて,今でも放射能が検出されるという。
写真4 キュリー夫人の部屋 |
写真5 ラジウム抽出の跡地 |
小さいながらも科学史上重要なこの博物館が非公開なのは惜しい気がするが,一方,観光気分で大勢が一度に押しかけるような場所でもない。キュリー一家の業績に真に触れたい人だけが静かに訪れるところであろう。フランスが原子力,放射線医学で世界の先端を進んでいる今日,ここはまさにその原点であり,貴重な史跡である。
* | 現在のパスツール研究所は大きく発展してモンパルナス地区(地下鉄 Pasteurの近く)に移転している。付近一帯に研究所,病院などの施設が展開し,旺盛な研究活動が進められている。エイズ・ウィルスもここで発見された。ここのパスツールの旧居が博物館になっている。 14:00〜17:30の開館で,土曜,日曜,祭日,および8月は休みである。地下は彼の墓所になっている。 |
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