レントゲンの生誕地のレムシャイト・レンネップはライン川の下流にある小さな町で,中心部は半径数百メートルのほぼ完全な円形の典型的な中世の市街である。
博物館の内部には3つの建物があり,X線についてのすべてにわたり,基礎から応用まで,また,初期から最近のものまで見事に整理され展示されている。主なものは数十種類におよぶ多様なX線管球,真空ポンプとインダクションコイル,X線発生装置と付属品,シーメンス社およびフィリップス社提供のいろいろな医療用装置(当然ながらこれが一番多い),初期のサイクロトロン,放射線測定機類,自動車1台丸ごとのX線透過写真などがある。
|
レントゲン博物館 |
いろいろなX線管球 |
初期のサイクロトロン |
|
特に興味深かったのは,いつの頃の物かわからないが,鉛製の防護用マスクがあったことである。これは頭からすっぽり被るもので眼の部分に穴が2つ空いている。放射線に対しては,眼こそ防護しなければならないという現在の常識では伺い知れないことがあったのである。その他の展示としては,X線の基礎的な性質を解説したもの,ラウエおよびデバイシェラーの回折を示したもの,宇宙空間に存在するX線やDNAの二重らせん構造を突き止めた話などが見られた。新しいものではCTスキャナーがある。また,レントゲンの使用していた書斎や居室も復元されている。個人の業績とその発展を展示するタイプの博物館としては第1級の優れたものであり,これまでなぜ日本に余り知られていなかったのかが不思議である。付近に彼の生家もあるが研究用の施設として使われている。博物館の図書などが保管され,一般には公開されていない。
|
鉛製防護面 |
X線発見の部屋(復元) |
|
彼は3歳のときこの地を離れ,オランダに移住している。ユトレヒトの工業学校を経てスイスのチューリッヒ大学で学んだ後,有名な実験物理学者のクント教授の助手としてドイツ中部のビュルツブルグ(Wuerzburg)大学に2年ほど勤務した。その後,各地の大学を転々とし,およそ20年後にコールラウシュ教授の後任の物理学教授としてこの大学に戻っている。そこで1885年X線を発見するのである。
|