本校で実際に私が行ったことのある「先取」についてご紹介いたします(過程変更等もございますので,現在も全く同じシラバスで授業をしているとは限りません)。
一貫校の「先取」と聞いて思い浮かべるのは,「中学範囲を二年間で終わらせてしまい,中三からは高校分野に入る」等,所謂「速く進む」という授業かもしれません。私はただ速く進むのではなく「内容を先取りする」ことも考えて,中一の初めから高校生物の内容も踏み込めるところまで踏み込んで授業をしました。よって,場合によっては決して「速く」はならないこともあり,例えば中三の生態系の内容は中三で授業を行うことになりますが,生徒及び保護者には教科の特性を十分にご理解いただき,賛同していただけました。以下に具体出来な内容を上げていきます。
まず入学早々,生物の内容を扱うにあたり,生物の定義を教えます。これは高校の「生物の共通性」の内容で,中一の初めから「ウイルスは生物とも無生物とも言える理由」等が記述できるようになります。また細胞説も教え,細胞小器官も教えてしまいます。核・葉緑体など生物基礎の範囲だけでなく,リボソーム・小胞体・ゴルジ体・リソソーム等,ほぼすべての細胞小器官を終えます。本校の生徒は,細かい内容も根気強く聞き緻密に理解記憶できるので,実現できた先取だと思います。この年は一学期中間考査に,胃小窩に見られる三種類の細胞の電子顕微鏡写真を出題しました。細胞小器官の特徴から各細胞の働きを考える問題で,生徒は苦戦しながらも楽しく論述してくれていました。
その後植物の範囲に進みますが,ここでは光―光合成曲線を終えます。計算問題も中一で十分解けますのでここできちんと教えておくことで,高校生態系の陽生植物・陰生植物の授業がとても速く進められます。また,花のつくりの延長で「被子植物の重複受精」も詳しく教えてしまいます。このことにより,中三の生殖・遺伝時にキセニアや種皮の遺伝の授業が容易になり,高二で配偶子形成の授業をした際も「中一と中三で習ったなぁ…」ととても懐かしそうに授業を聞いてくれました。一度教えておくことで,高二では核相や世代の変化に注目して授業をすることができ,生殖と同時に進化の生活環の考え方まで無理なく触れることができたのだと思います。
「生物の共通性」のワークシート
「細胞小器官」のワークシート
この後は中一地学の範囲に入ります。高校地学の先取はしませんので少々スピードアップしますが,ここでも可能な限り高校生物の内容を入れていきます。「大地は語る」の分野で地質時代の内容も授業をしてしまいます。高二の終わりになって進化の内容の授業をする際に「デボン紀」や「イクチオステガ」等,かなり細かい内容まで生徒が覚えていて感動するとともに,進化の授業が非常に速く進められました。中一でここまで詳しくやるメリットが本当にあるのかと不安に思ったこともありましたが,「内容先取」の効果を感じられて「やっておいてよかった」と思いました。
中一の三学期頃から中二の内容に入っていきますが,ここでまたしっかりと高校の内容まで授業をします。例えば目・耳はほぼすべて教えることができるので,定期考査で「遠近調節のしくみ」や「暗順応のしくみ」等を必要な用語を用いて正確に記述できるレベルにまで持っていきます。コルチ器の授業もしますので「音の高低の受容」も記述できます。これによって高二の受容器の授業を大幅に短縮することができました。
「ヒトの目の構造」のワークシート
消化・吸収の範囲では「単糖・二糖・多糖」,「アミノ酸・ペプチド・タンパク質」等,物質の構造を意識して授業を行います。ほんの少し丁寧にするだけで,生徒は「重合」や「高分子」のイメージを持つことができ,高校生物の「異化・同化」の授業が楽になります。消化酵素も高校資料集にあるものは教えてしまいます。ラクトースの構造とラクトース分解酵素を教えておいたので,高一でラクトースオペロンをした際に,教師側から話さなくても,「そりゃそうだ」と納得したり「なんて無駄を省ける合理的なしくみなのだ」と感嘆したりする声が聞かれました。「グルコースがあるとき」なんていう場合分けを単糖の理解もないまま授業をするのはつらいでしょうから,できるときに生体物質の授業をしておくのは地味なことではありますが重要です。
また,ここで「基質特異性」等の酵素の性質も理由とともに教えてしまいます。「タンパク質の立体構造の重要性」を中学生なりに感じることができたようです。酵素と基質のイメージをしっかり持つことで,高校で反応速度やミカエリス―メンテンの話がスムーズにできますし,高一での抗原抗体反応の理解も速くなるという思わぬメリットもありました。高校生物の「リガンドとレセプター」にしても,結局は「構造・結合」の話なので,中二で一度タンパク質の立体構造について話しておく価値はあると思います。
動物分類では,脊椎動物に限らず広く「系統樹」を教え,この際に旧口動物・新口動物の話もしてしまいます。中学生のうちから「門」の段階で動物の分類ができ,系統発生を理解することができます。中三で発生をする際に「原口が肛門になる」等も教えますが,生徒は即座にその意味の大きさまで理解できます。これも中二時に「刺胞動物は,以前は腔腸動物と呼ばれていてね…」と消化「管」の獲得について話せていることが大きいと思います。
中二地学・中三地学を終わらせて,中三生物の範囲に入ります。細胞分裂では高校レベルで授業をするので,体細胞分裂の高校問題集はすべて解けるようになります。生殖では無性生殖・有性生殖の違いに重きを置き「遺伝的多様性」の重要性を定着させます。このことにより,中三の最後に扱う「絶滅の渦」を理解しやすくなります。発生ではウニとカエルの発生をやり,形態形成と胚葉分化のイメージを持たせます。高二では中三既習範囲はおさらい程度にとどめ,「発生のしくみ」に重点を置いて授業をすることが可能になります。生態系の範囲は中学内容に加え,生物基礎および生物の生態系をすべて一気にやってしまいました。
「動物の生存曲線」のワークシート
以上が,私が本校の生徒の能力に基づき,中高一貫教育のメリットが生かせるようにと考えて行った「先取」授業になります。
ただこの時に困ったのが,生徒に持たせる問題集に適したものが無かったことです。中学生用の問題集は学年別ではなく理科第二分野が中一から中三の内容まで入ったものがありますので,それを採用すれば中学範囲を先取りすることには対応できますが,高校内容の問題がありません。適宜授業中に練習問題を解かせたりして乗り切っていましたが,もしタブレットを用いて高校問題集から解かせたい分野の問題だけ抜粋して取り組ませることができたなら,非常に便利だったと思います。本校は最終的には難易度が最も高い問題集を解けるレベルにならなければなりませんので,中三理科第二分野の内容が終わったタイミングで生物基礎+生物の分厚い問題集を持たせています。しかし,この難易度の問題集を中一から持たせるのは少々無理があります。発達段階や未習範囲を考慮すると,中一の光合成や重複受精,地質時代の練習問題は,もっと基礎的な内容の問題集が望ましいと思われるからです。だからと言って「では生物基礎だけの薄い問題集を購入させましょう」と安易に考えることもできません。進化は「生物」の最後の方に載っていますので,理系生物の内容でありながら易しい問題が載っている問題集が必要になります。さらに中二の感覚器では,高二の理系レベルまで授業をするので,この分野に関しては最難度の問題集が必要です。そこまで多くの紙の問題集を中学生に持たせるのは現実的ではありません。生物基礎及び生物の全レベルの問題集が簡単に閲覧でき,特定の分野を様々な難易度で解くことが可能なしくみがあれば,この悩みは解消します。タブレットに「本棚」を用意し,そこにある複数冊の問題集から,学校や生徒個人のニーズに合わせた分野・難易度の問題を抜粋して取り組むことができる新しいシステムに,私は大きな期待を寄せています。