行動目標という言葉は年配の先生方は当たり前に使うが,若い先生方の中には耳慣れない方もいるかもしれない。行動目標をインターネットで検索してみると,企業で使われる目標行動(目標を立ててその目標を達成するために行動すること)と捉えられているようである。教育の分野でも企業の目標行動と同義語的に用いられている著書もあるが,今回は,教育で用いられている行動目標の捉え方について提案したい。
私は以前,中学校の数学の教師でした。教師に成り立ての頃から,指導案を書くときは細案であれ,略案であれ,本時のねらいを行動目標で書くように,先輩の教師はもちろん指導主事からも言われ,それが当たり前だと思っていた。実際に授業を行ってもそれで困ることはなかった。教師の指導力の向上が声高に言われていた時だったので,普段の授業で指導案を書かないにしても本時のねらいを行動目標で考え,学習課題を決めて授業を行っていた。先生方の中には,普段の学校生活の中でそんな余裕はないという方がいるかもしれないが,部活動が終わって,教科書を見ながら翌日の授業のことを考えるとき,行動目標と学習課題を決めて臨むだけで1,2年たつと授業の質は確実に高まっていることを実感した。みなさんもやってみると実感できるはずだ。最初は難しく感じるかもしれないが,ノートにメモをしておき,改善点があったら書き加えておくと,次に同じ題材で授業を行うとき,それを見て授業を考えればよいことになり,さらに時間を短縮できる。
本時のねらいは指導書に書いてあるからそれを見れば分かると考える方もいるかもしれないが,指導書のねらいは必ずしも行動目標で書かれているわけではない。各教科の学習指導要領(平成29年告示)解説も,以前に比べて具体例を多く取り入れているものの,両者とも児童・生徒の実態を踏まえて書くことができず,一般的な表現に止めておかざるをえないからである。また,行動目標の言葉になっていないこともある。特に,本時のねらいは,本時の評価とも大きく関わっているので,なおのこと行動目標で考えておくことが大切である。
教師が授業を行うとき,そこには必ず目標が存在する。この目標のうち,教師の立場に立って,その指導意図を示したものを指導目標と呼び,学習者の立場に立って学習者の到達目標を明確にしたものを行動目標と呼ぶ。
指導目標は,構造的には単元全体の目標に包括され,単元の目標と比べると目標の範囲の狭小で具体的になる。そして,単元の目標は,直接学習者の認識の対象となるものではないが,指導目標は,実際に授業の場で,教師が学習者に対して,どんなことを「理解させ」,何を「考えさせ」,どのような「態度を身につけさせる」のか等を具体的に明らかにしたものである。すなわち,指導目標は教師が学習者に対して働きかける意図の内容を授業レベルで表現したものである。そこで示されたものは,教師が学習者に1単位時間の授業の学習を通して習得してほしい「方向」づけが内容になっている。つまり,1単位時間の授業の方向目標といえるわけである。だから,その教育的価値としての「方向」づけの内容には,単に「知識,技能」だけを目標とせず,「思考力,判断力,表現力等」や「学びに向かう力,人間性等」についても目標に含むことが大切である。
その理由は,指導目標に示された方向性は,その指導中,たえず教師の脳裏にあって指導姿勢の源泉となり,教授活動における言動や挙動へ強く反映するからである。指導目標の特質をあげると次のようになる。
「行動目標」という言葉は,terminal behavior の訳語で,「最終的に到達する行動」の意味である。
行動目標は学習者の「到達目標」であり,「成就目標」である。教師がどんなに教育的意図をもって働きかけても,その目標が学習者によって達成されなければ授業の意味がない。つまり,その目標が学習者によって達成されて,はじめて目標の意味をもつことになる。学習者が授業の終わりに「どんなことが言えたり」「指摘できたり」「書けたり」するようになるかを,教師は「方向」づけとともに「到達」すべき目標を明確にしておく必要がある。
行動目標は到達目標であるから,実際に到達したか否かが外部からの観察で客観的に判断できるものでなければならない。この判断が評価の手がかりとなるからである。だから,行動目標の設定にあたっては,目標の内容を外部の第三者が観察可能な「行動の言葉」で表現することが大切である。この背景には,行動の変容により学習の成立をとらえ,目標と指導と評価の一体化をはかるという考え方がある。行動目標の特質をあげると次にようになる。
1単位時間の授業の目標として,指導目標と行動目標の2つを考える理由は,目標の明確化をはかり,「わかる・できる授業」を実施しようとする強い意思が存在するからである。
次のような表現は「行動のことば」といえるのか,具体的に考えてみたい。
問1 下の算数の目標は,「行動のことば」で表現されているか。
【目標】
平面だけでできている角柱や角すいについて,頂点・面・辺に着目でき,それらの図形に共通な性質が理解できる。
指導目標との違いは,
「着目して」→「着目でき」
「理解させる」→「理解できる」 の2カ所だけである。
「着目した」かどうかは,どのような形で外に表れるのか。また,理解したとしたら,どんなことができるようになればよいのか,それを「行動のことば」で表すのでなければならない。ただ単に,「させ」を「できる」に置換すれば「行動のことば」になるのではなく,「理解する」内容そのものを外的な表現にしなければならない。答えは「NO」である。
問2 下の目標は「行動のことば」で記述されているか。
【目標】
与えられた何組かの数値を棒グラフに表すことができる。
答えは「YES」である。「表すことができる」というのは,それによって一義的に解釈することができるからである。「~を表す」というのも「行動のことば」である。
さらにどのような手段・方法によって棒グラフに表すことができるようになればよいのかも記述しておく必要がある。
行動目標は外部から観察して判断でき,しかもその判断について疑義が生じないようにするため,「行動のことば」で記述する。では,「行動のことば」には,どんな表現方法があるか調べてみる。
「~がいえる。」
「~が説明できる。」
「~の相違(共通点)があげられる。」
「~を暗唱できる。」
これらの行動については,「聞く」か「読む」ことによって,行動目標に到達したかどうかを判断することができる。
「~をはかることができる。」
「~を作ることができる。」
「~を描くことができる。」
「~を操作することができる。」
「~をすることができる。」
これらは,実際に観察が可能であり,「できた」かどうかを一義的に判断することができる。
「~を書くことができる。」
「~の表を完成できる。」
「~を解くことができる。」
「~の立式ができる。」
動作を示す動詞は,限りなく存在するといってもよい。行動をいろいろな側面によって分類し,それぞれの分野で多くみられる行動を表現する動詞を列挙しなければならないが,今回はその一例を述べる。
「行動」として適切でないことば | 適切な「行動のことば」 | |||
---|---|---|---|---|
知る | 理解する | 書く | 述べる | 指摘する |
わかる | 鑑賞する | 説明する | 区別する | 解く |
養う | 把握する | 構成する | 分類する | 排列する |
楽しむ | 習得する | 比較する | 同定する | つくる |
信ずる | 育てる | 結論する | 要素をあげる | 図示する |
心がける | 感動する | 回答する | 公式化する | 予測する |
検討する | 吟味する | 操作する | 概算する | 完成する |
慣れる | 総合してみる | 測定する | 推論する | |
大切にする |
今回は,「本時のねらい」という限られた部分の提案である。1単位時間の授業における展開の仕方(導入→展開→まとめ)や「P→D→C→A サイクル」との関連についてはほとんど触れていない。
また,行動目標の難易度は単に行動を示す動詞だけによってきまるわけではなく,どういう条件を与えるかによって,著しく異なってくる。例えば,「細胞の一般的構造図が与えられたときに,それに名称をつけることができる。」というのと,「細胞の一般的構造図を自分で描いて,その主要部分に名称をつけることができる。」というのとでは,後者の方がはるかに難しいことは自明である。
さらに,要求度は,直接的に難易度を決めることにつながっているから,行動目標はいくつかの側面において階層性をもっており,どの程度の目標が適切であるかという判断は,授業設計の大きな問題点である。
日々の学校生活の中で忙しく活動している先生方の各教科の指導力の向上を図る上で,私の経験を踏まえ,すぐに(明日からでも)取り組むことができることを提案させて頂いた。先生方の実践を願っている。