本編は,授業実践記録2020年4月・5月掲載の「那須の地形をみる(前編)(後編)-数学を活用して地形の成り立ちを分析する-」の続編である。できればそちらも参照されたい。そこでは,国土地理院からダウンロードした,那須地区の数百万からなる標高データを利用して,那須野が原の地形について言及した。そのときは,主に那珂川より西側の地形について分析を行った。しかし那珂川より東側(正確には北東)の地区については,那須野が原と地形が異なることを言及したくらいで,それ以上の踏み込んだ議論はしなかった。そこは那須のリゾートや商業施設が建ち並び,脚光を浴びている。
図1
ところで,大田原高校では現在SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の指定を受けている。学年ごとに生徒は4人ずつのグループに分けられ,各グループは研究テーマを決めて週に1回活動を行っている。その中の1つのグループが,那須の地形,特に那珂川より東側の地形について研究をしたいとの申し出があった。そこでその班も含め,生徒から希望を募り,「那須の地形をみる」と題して講義を行った。まず那須地区全般の地形について,以前私が書いた研究冊子を元に説明し,その後で以前あまり触れていなかった那珂川より東側(図1の那須温泉のあるところ)の地形についても講義を行った。ここは那須山の噴火となだれが多く起こった場所でもある。
以前の研究では,まず,図2にある16区画の標高のデータを国土地理院のHPからダウンロードした。それらは,1350万個からなる標高のメッシュデータであり,エクセル上で操作できる。
図2
エクセルで標高に応じてセルに色をつけ,セル幅や行幅を1ピクセルまで縮めると,図3のように山地や平野が現れる。
また各地点ごとに,その点をとりまく7×7の49地点の標高でその標準偏差を計算し,その地点の「でこぼこ度」とした(図4)。もし,平野ならば,標高データのばらつきは少ないだろうし,逆に大きければ,アップダウンがあることになるので,でこぼこしていることになる。
図3
各地点で標準偏差を計算 図4
そして各地点の標準偏差を計算して,値に応じて色をつけた(図5)。するとやはり那珂川より東側は,黄色の部分が多く,狭義の那須野が原に比べ,でこぼこが多いことがわかる。一方,狭義の意味で那須野が原は平野が広がっていて,那珂川が境になっていることがわかる。
図5
また前回では,山の斜面がどちらの方向を向いているかを計算するために,各地点で,次のような計算を行い,方角を決めている。まず,標高が次のようにを中心に並んでいるとする。
図6
まず,標高がである地点の地面の傾きを計算するのに,東西方向(x軸方向)の勾配を
また南北方向(y軸方向)の勾配を
のように計算する。
図7
もし,が正ならば,東側の方が標高が高くなっており,負ならば,西側の方が標高が高い。同様にが正ならば,南側が高くなっており,負ならば北側が高い。
これらを組み合わせると,図7のように9種類に分けることができる。東が高いということは西向きであり,北と東が高いということは南西向きであることを意味する。
方位はとの符号だけでなく,その値も考慮に入れると,もっと細かく決められるが,この後の図にもあるように,影ができて大まかな方がわかりやすい。9つの方向に適当に色を対応させて,それぞれの地点の方向にあわせて色をつけていく。
こうして,那須地区全体の各地点における斜面の方向を9通りに分類し,各セルごとに色分けすると次の図8のようになる。
図8
今回の分析の中心は,図の丸に囲まれたところで,明らかに過去に何かが起こり,地形が複雑になっているのがわかる。生徒もここを注視し,研究対象の中心にしたわけである。
ここまでが前置きである。
標高による分析に入る前に衛星写真によってこの地域を分析してみよう。Google Earthにより,上空14000mから那珂川より東側を撮影したものが図9である。
写真で見る限り人工物が多いせいか,なだれの跡は感じられない。ただ,図10は上空36000mからのものであるが,那須塩原市の市街地を境に,上の部分は緑が多くなるだけでなく,上から下に向かって緑の流れが感じられる。図の「E4」と書かれた黄色い線は東北自動車道である。
図9
図10
茶臼岳付近の14000mからの上空写真は図11のようになる。茶臼岳や朝日岳の方から幾筋かの流れの筋が感じられ,しかも山麓に行くほど,それらの筋が広がっているのがわかる。人工物が少ない写真からは,こうした痕跡も見て取ることができる。いずれにしても,なだれは那須の山肌を南東方向に向かって起こっているように見える。
図11
下の図12は図8を拡大したものである。この地区の地形は北西から南東に向けて多くの地形の“流れ”を見ることができる。そして,その上に,“粉”が降り積もったようなところも見られる。まずA,B,Cあたりに地形の流れ跡が見られる。(Cの部分はわかりにくいが,この後の図でわかりやすく示される)この地域は那須山が間近であり,文献資料によれば大昔,火山活動が活発であった。三本槍岳から南月山にかけて,噴火が繰り返されたところである。容易にこの地区が,噴火による溶岩や岩屑(がんせつ)(溶岩よりも低温)のなだれの流れた跡ではないかという推測がつく。しかも,BよりもAの方が新しく,元々Bの流れによってできた地形のところに,Aが重なってできた地形だと推測できる。
図12
議論を進める前に,まず文献資料により過去の火山の活動について述べる。以下の写真も参考にされたい(図13~図17)。
那須火山群は約60万年前から活動が始まり,まず初めに北側にある甲子旭岳(三本槍岳の北側で図にはない)が60万年前から噴火した。次はそのやや南側にある三本槍岳が40万年前から25万年前に噴火し,20万年前から5万年前までさらに南側の朝日岳と南月山が活動した。現在噴気活動をしている茶臼山は3万年前から活動している。
甲子旭岳:60万年前に噴火 図13
三本槍岳:40万年前から25万年前に噴火 図14
朝日岳:20万年前から5万年前まで噴火 図15
南月山:20万年前から5万年前まで噴火 図16
茶臼岳:3万年前から噴火 図17
さて,地形の分析を進める。
まず,図12のAの部分を拡大すると,図18のように矢印が示すような土砂の流れのようなものがあるのがわかる。なだれの先端がそこで止まって,小さな丘のような形になって点々とみられる。
図18
一番下の矢印が示す場所は現在のりんどう湖や,ホテルエピナール那須がある付近である。確かにこのあたりには小さな丘が多数ある。この辺で一番高い山は「御富士山」(おふじさん)とよばれ,「ロイヤルホテル那須」と「25那須ゴルフガーデン」の間に位置し,標高は497mである(図19)。地理学ではこうしてなだれが止まって形成された丘のことを,「流山」という。りんどう湖は人造湖であるが,この流山を利用することでできた。この丘の上に売店とレストランがある(図20)。
図19
図20
御富士山(上)とりんどう湖のところにある流山(下)
図21
この流山を伴うなだれを解明すべく,茶臼岳周辺を拡大してみてみよう。図21が示すように,茶臼岳を取り囲むように,山の壁が取り囲んでいるのがわかる。ただし南東側は崩れて馬蹄形の形をしている。このカルデラは「茶臼カルデラ」とよばれる。資料によれば,今の茶臼岳ができる前,ここには大きな成層火山(富士山ような形の山)があり,今の朝日岳南東斜面を発端する大規模な噴火を期に山が崩れ,大量の火砕流や岩屑なだれが麓まで流れた。カルデラはこの跡だと考えられる。そしてこれに伴うなだれが図12のAにあたる。
前述したようにこの時点で今の茶臼岳はない。茶臼岳はその後にできた2次的な山である。いわば,阿蘇の中岳と同じである。さらに先の図12で,Bのところを拡大してみる(図22)。Aのところに比べ規模が大きく,大きな流れの跡であることが想像される。分布をみると,BはAより古い時代に起こり,かなり南まで下っていったと考えられる。その後,その上にAのなだれが上を覆ったと考えられる。また溶岩や岩屑の粘性もAのところとは異なることも予想される。粘りけがあれば塊が出来やすいが,粘りけがないと,下に向けてよりなめらかな流れになるであろう。ある程度粘性がある溶岩だったかもしれない。
資料によればこのなだれは,三本槍岳だけが山体崩壊を起こして岩屑なだれを起こした時に出来たものだと考えられる。残念ながらその後,近くの朝日岳の噴火や風化もあり,三本槍岳のカルデラらしきものは確認できない。
図22
図23
次に先の図12のCのところを拡大する(図23)。ここは南月山の南の斜面である。規模は小さいが,南月山の何らかの活動で,なだれが起きていることが図からみてとれる。
南月山のところも茶臼岳と同じような現象がみられる。図25のように南側が崩れたカルデラがあるのがわかる。「南月山カルデラ」とよばれるものである。
南月山も太古の昔,この大きなカルデラに成層火山を成していた。それが噴火とともに南側に火砕流や土砂が流れ,その後に黒尾谷岳が形成された。黒尾谷岳も茶臼岳と同様,2次的な山である。
南月山の下にある黒尾谷岳 図24
図25
図26
図27
こうした那須の地形の特質をさらにはっきり見るために,標高データに新たな数学的処理を加える。前述したようにいくつかの標高の標準偏差を計算すると,それはその地点のでこぼこ度を表す。しかし,図26でAの①②③④⑤を①③②⑤④に並べ変えたものがBであるが,AとBのどちらも標高の値は同じなので標準偏差は同じになる。しかし明らかにBの方がでこぼこがあると考えられる。つまり,標準偏差だけではAとBの差を見分けることができない。
なだらかな山の斜面と,標高があまりなくても溶岩が流れたでこぼこの多い所は同じ標準偏差の値をとってしまう可能性がある。そこで試みとして,各地点における標準偏差の値ではなく,隣り合う地点どうしで,標準偏差の変化と方向に着目したいと思う。次のようにエクセルのセルに標高ではなく標準偏差を中心に並んでいるとする(図27)。
前述した次の式でx軸,y軸方向の勾配を計算し,その地点の傾いている方向を定め,その方向によりセルに色付けする。
図28
すると標準偏差(でこぼこ度)がどちらの方向に増大しているかが見て取れる。このような処理をすることで,例えば図28のABライン,CDラインのところでは,左右方向で標準偏差の変化の方向がでるのではないかと考えた。しかしEFラインでは標準偏差の大きな変化はない。それで那須地区全体を計算すると,図29のようになる。ここで,寄り道かもしれないが,那須野が原全体の方に目を向けたい。
案の定,那珂川東側には,なだれの痕跡と思われる筋がはっきり現れた。よく見ると,左下のところにも,なだれの跡が見える。これは高原山の噴火によるものと考えられる。
図29
図30
図31
栃木県教育委員会のサイトの画像にも,なだれの跡らしいものがはっきり現れている(図30)。確かに大田原市野崎(宇都宮線のトンネル)付近に行くと,複数の岩山を見ることができる(図31)。それらはなだれの痕跡に見える。そしてこれらは那須野が原の西側の“壁”を構成している。
図32
さらに,大田原のある那須野が原は平地であるが,そこにいくつかの細長い筋が見られる(図29)。これは「分離丘陵」とよばれる。この流れはいずれも左上の方から右下の方向に向かっている。ちょうど塩原の「塩原カルデラ」の方から流れているように見える。
塩原カルデラ(図32)では,今から30万年ほど前,大噴火があり,「大田原火砕流」とよばれる火砕流が発生して那須野が原一体を埋め尽くした。カルデラの直径は約10キロ。大規模なものであった。当然その直後は荒々しいなだれの跡が那須野が原一体にあったと思われる。その後,箒川,蛇尾川,那珂川等により山から大量の土砂が運ばれ,日本有数の扇状地になった。なだれでできた丘陵の谷間は土砂で埋められ,今見える丘陵はその上の部分が現れていると思われる(図33,34)。
図33
この分離丘陵のいくつかは,人間の手によって丘の高いところが開墾され,平らになり,水田になっていたり,国際医療福祉大が建っている。図29の丘陵で,茶色の細長い輪の内側が黄色くなっているが,その部分がそれに相当する。
大田原高校北側の分離丘陵 龍体山
この山の南端は大田原城址
図34
さて,話を元に戻して,那珂川より東側の部分を拡大してみてみよう(図35)。
図35
さらに拡大して北から南に向けて複数枚の図を示す(図36~38)。
図36
図37
図38
一連の図からなだれを示す2本線がはっきり現れるのがわかる。これらは,大田原がある那須野が原とは様子を異にする。塩原カルデラからの噴出物で多少は那珂川の東側にも影響したかもしれないが,なだれの方角も異なり距離も遠いので,ほとんど影響していないと思われる。大田原火砕流が約30万年前であるのに対して,那珂川より東に起こった最初の岩屑なだれは26万年前である。それから,断続的に数万年前まで,なだれが複数回起こっている。当然那珂川や余笹川,黒川等によって土砂も運ばれたであろうが,まだ那須山の形成がされて間もなく,開析(水が山肌を削ること)もほとんどない中で,川の水の流れが土砂をどんどん運ぶことは考えにくい。土砂がつもっても那須野が原ほどではないと思われる。それより断続的に起こっているなだれの影響の方が大きい。
また,那須の山々の地形が東に開かれており,大部分東側に流れたと考えられる。仮に西側にある那須野が原にはなだれが入ろうとしても,那珂川がある。ここで川の水と混じり合い,泥流となって下流まで流れた可能性もある。図39の矢印のところでは,なだれが那珂川に流れ込んでいるように見える。那珂川はこれまで河岸段丘を起こしていて複雑な地形になっているが,それに加え,こうしたなだれの影響もあって,地形がさらに複雑なものになっていると思われる。箒川や蛇尾川にはこうした複雑な地形は見当たらない。
文献によると,なだれによる泥流の跡が,茨城県の瓜連で発見されたとある。こうしてなだれによる那珂川西側までの影響はほとんどないと思われる。
図39
以上をまとめると,那須野が原は高原山,特に塩原カルデラからの火砕流により,その土台が形成され,後に川からの土砂が堆積し平野ができたが,那珂川より東側は岩屑なだれによる火山麓扇状地になっている。図40からもわかるように,那須は那珂川によって,その東西の様相がはっきり異なっている。
図40
さて,話をなだれの跡A,B,Cの分析に戻し,文献からこのなだれについて歴史的にみることにする。A,B,Cには名前がある。A「御富士山岩屑なだれ」,Bは「黒磯岩屑なだれ」,Cは「那珂川岩屑なだれ」とよばれる(図41)。
茶臼,南月山,三本槍岳のところにはかつて成層火山(富士山型の火山)があり(点線で示された山),それらが噴火でくずれ,茶臼と南月山のところにはカルデラができた。その際流れ出た岩屑なだれがA,B,Cの跡を形成しているものと思われる。
図41
ちなみに茶臼のところにあった成層火山(古茶臼火山体)は標高2000mを超えていたと推測されている(現在の茶臼岳は1915m)。図40の茶臼岳と黒尾谷岳は,カルデラが出来てから二次的に出来た山である。このうち,今の茶臼岳の形成となだれを中心にその成り立ちを図で説明する(図42)。
図42
茶臼岳の形成は次のA,B,C,Dの順に進み形成された。
さらにDの部分について詳しく説明する。Dは3段階に分けられる(図43)。
図43
図44
茶臼カルデラのところに最初に出来たのは1万~2600年前で「溶岩流原」ができた。溶岩流原とは,火山の噴火に伴って,地下のマグマが液体の溶岩として地表に噴出し,流下しその結果,地表に残された地形のことである。
次に2600年前に火砕丘が形成された。火砕丘とは,火山活動で噴出した火山砕屑物(火山から噴出された固形物のうち溶岩以外のもの)が火口の周囲に積もり丘を形成したものの総称である。
そして最後に1410年に溶岩ドームの形成がされた。溶岩ドームとは,火山から粘度の高い水飴状の溶岩が押し出されてできた,ほぼドーム状の地形である。溶岩ドームは図44の白い層より上の部分である。この白い層は1408年の噴火(水蒸気爆発)で降り積もった噴出物で,その上を頂上まで覆っているのが1410年の噴火で流出した安山岩溶岩である。この噴火で180人余りの死者が出た。
以上の内容を,「SSH数学特別講座 那須の地形をみる」と題して20人の生徒に講義を行った。2時間にわたりコンピュータのある情報室で行った。生徒は講義を受けるだけでなく,コンピュータの目の前にして,標高が入力されているエクセルデータに様々な数学的処理を施し,操作的な経験をすることができた。以下に生徒の感想を挙げる。(抜粋)
コンピュータを前に熱心に講義を聴く生徒達 図45