情報・メディア産業からの提言
"情報教育" その本質に期待すること
数学目次へ
逆転の発想でITを有効活用する
NTT東日本マルチメディア推進部
篠 原 正 典

1.教育デバイドの出現とIT活用の目的

 教育の情報化が世界的に進められてきているが,話題性に着目した花火を打ち上げる時代は過ぎ,IT(情報技術)活用による継続的な効果や評価が問われる時期となった.とは言ってもITが活用されていない学校(環境整備の有無ではない)は未だ多く,義務教育の学校間にさえ教育内容の差が現れてきている.デジタルデバイドは技術が解決するが,現れ始めた教育デバイドは教員によるところが大きいため,その差はますます広がっていくことが懸念される.
 情報化は社会全体に及び,当然,企業においても業務効率化の手段や戦略ビジネス対象領域になってきている.このような急速な社会の流れに対し,初等中等教育現場の情報化のスピードは驚くほど遅い.教育を重視して莫大な予算を計上している国があるのに対し,日本では費用対効果を懸念して予算化が遅れている.
 実は,かく言う私自身も効果への懸念がある.ITの教育への有効性には確信を持っているが,ITを授業で活用できる教員が全体の約30%(平成12年5月現在)に過ぎない実態を見ると,その有効性を学校で引き出せるかに疑問を感じる.IT利用には光と影があり,使い方次第で効果を産む応用と,それとは反対に教育を後退させる場合が起こり得る.ITを使うことを主目標とし,影の部分に対して無意識・無頓着であると,新学習指導要領の導入で短縮される授業時間がますます無駄に使われることにもなりかねない.
 情報教育が狙いとする子どもたちの“考える力”を育成することを最重点課題と捉えて教育実践ができれば,IT利用に固執する必要はない.事実これまでにも,新聞記事やニュース等を利用したメディアリテラシー教育,創造力育成教育,自分の考えを主張する教育などは,特に欧米諸国を中心に既に行われてきている.ITを使わなくても目的とする教育は実現できるはずである.
 しかし,社会全体の情報化が進みインターネットのような新しいメディア媒体が急激に発展している中では,明らかに情報の社会への影響の度合いが従来と変わってきていることは確かであり,その変化を産み出している先導的技術をツールとして教育に使う効果は昔と違う.高等学校では変化する社会に対応できるようにするため,特に社会構造の変化を捉えた教育が必要と言える.その点ではITを活用する価値は高い.ITは使う側によって引き出せる効果に差が出る手段に過ぎないが,その効果の差は大きい.

2.情報化の進展と求められる人材とは

 “IT革命”と騒がれ,新規ビジネスが台頭し,そしてバブルが崩壊し,現在はIT産業の低迷が続いている.ITは虚妄であると言われてもいるが,それはビジネス活用への成否から見た一つの意見であり,ブロードバンド化,それに対応する機器やソフトの開発は着実に進んでいる.
 技術革新のスピードが速いがために,法的整備の遅れによる社会秩序に歪が現れ,利便さと共に社会不安も招いている.インターネット上にアダルト情報が満載され,勧誘情報が携帯電話を通してメール交換を日常行為とする無防備な子どもたちに送られる.無責任な行為にさらされる社会であるからこそ,それに背を向けず,対応・対処できる能力が必要となる.これがまさに新学習指導要領にある“生きる力”である.本来,“生きる力”は防衛力ではなく,社会を発展させる原動力である.世界を動かしているのは物ではなく人であり,これからの社会では人材が最も重要な資源となり得る.情報教育はまさに人材育成教育である.だから,世界中が情報教育に力を入れている.
 企業の中にも人材育成がある.その目的は業務遂行に必要とされる知識や技術力の付与などであり,“生きる力”の育成ではない.しかし,私が勤務する情報産業に関わらず,企業が最も求める人材は“生きる力”が意味する“能力を有する人材”である.与えられた仕事の内容を事細かく指示しないと実行できないのでは困る.自ら目標を掲げ,ビジネスプランを創出し,その妥当性や市場性を判断し,課題を予測し,それらを解決しながら実行できる人材が求められている.しかし,現状では与えられたことをこなす人は多いが,創り出せる人は少ない.これらを手段や手法として研修させることは可能であるが,大人は頭で学ぶのが精一杯で,体得することは容易ではない.学習が習慣として身につけられる初等中等教育での必要性を感じる.

3.学校教育への期待とITの活用

 下記は個人的に期待したい教育であるが,その実現にITは必要条件ではない.しかし,教員個人が限られた情報を基に容易に実施できるものでもない.そこではネットワーク活用や情報収集用ツールなどが役立ち,ITの教育活用への効果が期待できる.

3-1.「知識付与」から「能力育成」への教育へ

 知識は考えるベースであるため重要ではあるが,知識修得だけでは複雑化する社会に対応できず,考える能力が必要であり,それを育成する場として,総合的な学習の時間や情報教育が期待されている.しかし,可能ならば従来の教科学習の中でも能力育成の教育を期待したい.
 能力育成教育という視点では算数や数学は教科の中でも長けている.英国では子どもたちの数学能力の低下を懸念して,ミレニアム算数(数学)プロジェクトが国策として進められている.そこでは単なる計算問題を解くのではなく,例えば,図1に示すような数字の面白さや不思議を引き出しながら“考える力”を育成する問題が多く作られている.
 算数や数学の解答は一つだと思われがちだが,このような問題は正解が多数ある多解問題でもあり,速く解くだけでなく,他と違う正解を発見する能力育成にもなる.異なる視点からものを見る,という重要な習慣を身につけることにも繋がる.これらの能力育成教育はITがなくても実施できるが,教材作成等の面で一人では対応しきれない.ITのネットワーク性を活用すれば,他の教員や社会人の協力を得られ,かつ多くの学校で教材をシェアでき有効な活用ができる.

右の14個の○の中に1から14までの数字を1個ずつ入れ,直線で結ばれた4つの○の数字の合計が,それぞれ30になるように,数字をあてはめなさい.
出典:Cambridge大学Millennium Mathematics project

図1 数学の数合わせの問題例

3-2.“教える”から“学び合う”教育へ

 これまでの学校教育では教員が子どもたちに“教える授業”が中心であった.物事を学習する時に最も学習者にとって効果が上がるのは,学習者自身が他の人に教えることである.教えるためには自分自身が理解することが必要となるからであり,そのためには“教える”内容の数倍の量を学習しなければならないからである.このような立場を変えた授業,例えば,生徒たちに常に問題を解かせるのではなく,問題を発案させることを行ってはどうか.逆転の発想が創造力育成のための一手法でもあるように,それを実践する教育は効果が期待される.
 逆転の発想とまではいかないまでも,異なる立場の考えを理解するのにITは役立っている.欧米ではITではなくICT(Information Communication Technology)が重要であると認識されているように,また,社会生活が人間の相互理解で成り立っていることからしても,コミュニケーションは非常に重要な教育要素の一つであり,学び合う教育の実現に繋がる.

3-3.“何”から“なぜ”を学ぶ教育へ

 「火を通しているのになぜゆで卵は生卵より腐りやすいのか?」,「なぜ猫の目は夜輝いて見えるのか?」これらは「こねっとプラン」で実施したプロジェクトに小学生から寄せられた疑問の一部である.手品に興味を持つように,人は不思議なことやものに興味を抱く.自然現象にも歴史にも数学の公式にも,身の回りには不思議が溢れている.教育も“なぜ”を学ぶことを重視すれば,もっと学びに興味を持たせられるのではないか.
 企業の中で新規開発やビジネスプランの立案,あるいは研究の中での事象解明では,仮説を立て,なぜそれが正しいのか,妥当なのかを説明するプロセスを踏む.学校では数学に証明問題があり,既に存在する正解に対して,“なぜ”を証明する.もう一歩進んで,(数学とは限らず)解答までも仮説(正しい必要はない)として立てて,それを証明する学習はできないか.一見難しそうだが,小学生でもできる内容でもある.宇宙人の姿を想像させ仮説を立てさせ,なぜそのような姿をイメージしたかを様々な情報を基に説明させることも,このような学習に含まれる.“なぜ”の教育は問題意識を持つことであり,解決すべき対象を明確に設定することであり,それらの考えるプロセスは企業において仕事を進める上でも非常に重要なものである.
 このような“なぜ”の教育を行う際にITは有効である.生徒が自分の仮説を種々の情報を活用して証明しようと努める,あるいは社会の専門家に質問して仮説を裏付ける情報を得るために活用できる.もちろん教員が自分の教科の中で生徒に投げかける“なぜ”に対し,授業前にあらかじめ解答をこっそり調べる場合にもITは使える.

4.情報教育の可能性

 現在の情報化社会では情報は便利であるが,時として人は情報に操られる場合がある.上げ底サンダルやガングロ,若者言葉の流行も情報の流通が作ってきている.情報とは単に存在するものではなく,人が作り出す意味を持つものであるため,それ自体に作者や発信者の意図がある.だから同じテーマであっても,立場によって情報の内容が異なる場合があり,戦争・紛争に対する報道内容などはその典型である.
 インターネットの普及により手に入る情報の量は各段に増加している.高等学校には,社会の動きを授業に取り込み,生徒が情報の質を見極め,情報に支配されずに自分の考えを持つ教育を行うことに期待したい.情報の本質を見極めることは容易ではないが,少なくとも様々な視点から評価する姿勢を持ち自分で情報を作ることが大切である.それがまさに情報教育の目的である.


篠原 正典;1954年鹿児島県生まれ.
電電公社武蔵野電気通信研究所,厚木研究開発センターで
化合物半導体結晶材料,量子構造デバイスの等の研究に従事.
1990年工学博士.
1996年よりNTTで教育の情報化プロジェクト「こねっとプラン」を推進.
現在,NTT東日本マルチメディア推進部で教育プロジェクトを推進.
日本教育工学会,電子情報通信学会,日本通信教育学会,応用物理学会各会員.
会社ホームページ http://www.ntt-east.co.jp
/


Eメール:shinohara.m@east.ntt.co.jp