1.はじめに
理科授業の中で,自由な思考の場,コミュニケーションの場を保障すると,子どもたちは各々,独自の論理に基づいたさまざまな考え方を示す。このことは,知識が教師から子どもたちにそのまま伝達されるとする授業観に変更を迫るものとなる。
また,理科における実験や観察では,一つひとつの実験データ,観察結果を集積することにより,目標とする結論が子どもたちの中に定着すると考えられがちである。しかし,帰納的ともいえるこの考え方は,やはり,子どもたちの独自な論理や学びの状況を抜きには語れないものであることが,昨今いわれてきている。
本稿では,単元「植物の生活と種類」を例に,観察情報が,本質的に意味をもつことを目指した授業実践を紹介する。
2.授業のねらい
本単元は,子どもたちが,花や根といった植物の各器官を観察することにより,植物のからだのしくみとなかま分けについて理解していくことをねらいとしている。
しかし,冒頭に述べたように,観察に取り組む子どもたちは,観察活動で得られた情報を生命活動という文脈から切り離し,単なる形態的な特徴として記憶するという学習を進めがちである。そのため,ここでは,図1に示すように,各器官に対する観察情報を意味づけ,さらに,「植物のなかま」の学習への糸口を与えることを意図して,「植物は栄養分製造工場だ」という授業を構想した。
花のつくりとはたらき 葉のつくりとはたらき 根・茎のつくりとはたらき |
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図1 授業の流れ
3.授業の内容
これまでの授業で,子どもたちは,花,葉,茎や根について,その形状や構造を詳しく観察してきている。しかし,それら観察結果と植物の生命活動という深遠な営みとの結びつきが希薄であることは,しばしば経験することである。そのため,ここでは,子どもたちにとって身近になっている植物の葉でデンプンができること,また,そのデンプンがいもや種子に蓄えられることに着目して,「植物は栄養分製造工場だ」という投げかけから授業を始めた。
もちろん,この投げかけを発するにあたり,子どもたちとの間のコミュニケーションは,とても大切なものになる。なぜならば,この投げかけ自体が「教材」であり,さらに,誘発されるさまざまな発言やつぶやきもまた「教材」とみることができるからである。一般に,教師側が学習のために用意した素材が教材であると解釈されがちであるが,ここでは,その枠組みを広げることにより,子どもたちにとって多様な視点に立てる足場を用意したいと考えた。
実際の授業では,「物をつくるあの工場?」,「栄養分って何?」といった質問を発したり,小学校時の授業を思い出したりと,活発なやりとりが交わされた。そして,それらのコミュニケーションの中で,子どもたちに小学校の社会科で扱うような工場の構造図を示した。構造図は,工場における一連の流れをわかりやすく表現しており,それぞれの部署での役割が工場全体の機能と関連させて説明づけられているものである。つまり,この図を起点として,これまでの学習で得た各器官の観察情報が,子どもたちによって植物体としての活動に関連づけられていくことを意図している。授業では,この後,プリントを配付し,栄養分製造工場としての植物体を共通の書式で考えていける場を用意した。学習の過程で子どもたちが描いた「栄養分製造工場」の1例を図2と図3に示す。
両方の図をみて,まずわかることは,植物の体の中を行き来する養分や水といった物質の移動が強調されている点である。図では,管や道,トラックが描かれ,それぞれの器官間で物質がやりとりされる意味が,必然性をもって表現されている。また,葉では,二酸化炭素,水,光を原料として,栄養分がつくられる過程を「まぜる」や「加工」といったイメージでとらえており,光合成のしくみでいう「明反応」,「暗反応」の萌芽とみることができる。さらに,花の役割として,「子孫」を増やすことが表現されており,「花粉」や「種子」といった生殖に関わる具体的な言葉も記述されている。そして,図の中の花を示す部分にも管が描かれていることは,からだの各機能が物質の循環によって維持されていることを踏まえていることは明らかである。
以上のように,植物を栄養分製造工場とみることにより工場のシステムが植物のメタファー(隠喩)としてとらえられ,これまでの学習で得たさまざまな観察情報が意味づけられた。つまり,工場での製造,運営は,「原料の搬入」,「原料・製造物の移動」,「加工・製品化」,「不要物の排出」,「工場の拡大」といった過程で構成されており,このことが子どもたちどうしのコミュニケーションの中で交わされることにより,子どもたち各々がもっている情報は整理され,また状況的に使われていったのである。例えば,「根っこは,原料の水を取り入れるところだ」や「花は工場の支店を増やすんだ」といった発言は,「それならば,吸水力の強いポンプのようなものを描こう」や「たくさん増やすために遠くまで飛ばす工夫をしよう」などといった新たなコミュニケーションを生み,子どもたちにとって必然的なかたちで植物のからだが見直されていった。
なお,先述したように,授業で使用したプリントには模式的に太陽,葉,茎,土,根を配置し,植物のからだを簡略化することにより,コミュニケーションに一定の条件づけを行った。このことは,コミュニケーションにおける内容の焦点化に大いに寄与し,教師側の積極的な介入によって,子どもたちの各視点を紹介する際にも十分な効果を発揮した。
4.おわりに
今回の授業実践は,植物の各器官を統合的に扱うというねらいはもちろんのこと,この後に続く小単元「植物のなかま」の学習にとっても重要な糸口になる。なぜならば,この小単元では,「花の咲く植物」,「花の咲かない植物」という内容で植物の分類について学習するわけであり,このとき,「花」の機能は,からだの中の他器官との巧みな連関で個体増殖に関わっていることを実感しておくことが不可欠だからである。
つまり,植物は,各器官が調和を保ちながら機能することによって個体を維持でき,さらに,それら器官の中に新たな植物の命を生み出すはたらきがあることにより,営々と次代にその命を受け継げることを子どもたちが実感することである。そのことによって,他のさまざまな生物にも同じような機能や器官があるはずであろうという考えが現実味を帯び,子どもたち自身の問いとして学習の場に顕在化するのである。
学習の場におけるコミュニケーションは,その場を構成する子どもたちそれぞれに多様な視点を提起する。そして,それらの視点から事象を吟味することにより,観察の結果は単なる形状や特徴を示す情報ではなく,そのコミュニケーションをさらに発展させるための大切な契機となる。
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