大阪府池田市立細河中学校 竹村 茂行 |
1.はじめに 電池をつくる実験は,ボルタの電池を基本として,11円電池や果物電池,備長炭電池などさまざまにあり,生徒の興味を引くものとして定着している。ボルタの電池は現在の学習指導要領では,エネルギーの単元で扱われているが,電流が発生する原理はともかくとしても,2種類の金属と電解液があれば電流が流れるという事実は,それだけで生徒の興味をわしづかみにする力を持っている。 本稿は,ボルタの電池の発見はもとより,電池の発見,さらには,その後の電磁気学の発展のおおもとになったガルバーニのカエルの実験をエビを使って教材化したものである。 ガルバーニの発見は,当時,非常に衝撃的なものとして受け止められている。その様子をドイツの生物学者デュ・ボア・レーモンは自著『動物電気の研究』の中で,「ガルバーニの論文の公表が物理学者,生理学者,医者の世界に呼び起こした嵐は,同じ時代にヨーロッパの政治的視野の現れた嵐(フランス革命)にだけ,くらべることができた。カエルのいるところでは,そして,2つの異なった金属片が手に入るところでは誰も彼も切断した脚の驚くべき起死回生を目のあたりに確かめようとした」(安田徳太郎訳・編『ダンネマン大自然科学史・7巻』三省堂刊)と書いている。また,この発見は文学にも影響を与え,あの有名な物語『フランケンシュタイン』の発想のきっかけにもなっているそうである。 (参考資料:小山慶太著『神様はサイコロ遊びをしたか』講談社学術文庫) インターネットの検索サイトで,ガルバーニを検索すればたくさんヒットし,多くの情報が得られる。発見のきっかけになったエピソードやボルタとの論争,そしてその名前がガルバノメーター(検流計)として残っていることなど,興味深いことがたくさんある。こういった人間臭いエピソードも含めて教材化することで,科学が生徒にとってより身近なものになると考える。 この実験を正面から行おうとすると,生きたカエルを使い,リンゲル液を準備したり,麻酔なしでカエルを解剖したりする必要があり,たいそうな実験になってしまう。 なんとかこの時代の人々が経験した驚きを手軽に教材化できないものかと考え,カエルの脚の筋肉はあくまでも検流計の役目を担っていたに過ぎず,2種類の金属と電解液,そして筋肉があればガルバーニの実験を再現できるという発想で,冷凍の食用ガエルや活きのよさそうな刺し身用のイカなどを試したがうまくいかず,いろいろ模索した結果,生きたまま安く手に入る釣りの生き餌であるシラサエビ(モエビ)に行き着いた。 2.実験の実際 <準備物>
<方法>
3.授業展開例 1時間にこの実験だけではやや物足りない感がある。そこで筆者は,まずガルバーニのカエルの実験に関するプリントを配布して生徒に読ませることから始め,次いでエビを使った実験を行い,ピクピクとエビが動くのを観察した後,エビの実験を参考にして,鉄と銅と亜鉛の板を2枚ずつと,電子オルゴール,うすい塩酸を生徒に与え,電子オルゴールを鳴らすにはどうしたらいいか試してみようという展開にした。 エビの実験からポイントが2種類の金属にあることを見抜くのは,生徒には難しく,途中でヒントを与えた結果,終了の時間ぎりぎりになって,一つの班がオルゴールを鳴らすことに成功し,その班の情報をもとに,他の班でもボルタの電池にたどり着くことができた。しかしそこで時間が足りなくなり,まとめは次の時間に行うこととしてその時間を終えた。 ガルバーニの実験に焦点を当てるなら,ボルタの電池を演示実験で行い,エビの実験を生徒がした後,歴史的な背景や人間模様を解説してもいいかもしれない。 いずれにしても,ガルバーニはこの現象の解釈を誤り,生物が電気をつくるとして,ボルタとの論争に負けてしまうが,この実験がなければ,オームやファラデーなどの発見につながらなかった訳で,今の科学技術の発展に至る最初のきっかけが,カエルの起死回生にあったというのは大変興味深いことである。また,電気が発生する原理が解明されるのは,歴史的に言っても,この後さらに時間が必要になるわけだから,イオンなどをわざわざ発展的に導入して,説明する必要などないと考える。 4.おわりに かつてわたしたちは遊びの中で,家にある時計やおもちゃを分解して壊したり,電池を分解したし,また,テレビの映りが悪くなったとき,父親が後ろの板を外して部品を入れ替え修理したりするのを横で見ていたこともある。しかし最近は,乾電池を分解したことがある生徒もなかなかいないし,テレビの中身も何が何かわからない。もちろん電池のパッケージには分解しないようにと注意書きがしてあるし,マンガン電池よりアルカリ電池や充電池が主流になった今,何でもかんでも分解するのは危険である。しかし,電池には何らかの電子部品が入っていると考えている生徒も多く,使い古したマンガン電池を授業で分解させると,なにか悪いことをしているようなわくわく感も手伝って,電子部品でなく黒い粉が出てくることに大変驚きを覚えるようである。 生徒の実体験が遊びの中でさえ乏しくなり,さまざまなものがブラックボックス化している中で,その原理や仕組みに目を向けたり,発見にかかわった科学者や技術者の苦労や驚き,失敗などのエピソードを交えて授業を構成し,科学や技術の裏にある『ひと』との出会いを演出することが,我々教師にとって非常に大切なことになってきているように感じる。科学史の中には,多少眉唾のものも含めて,興味深い題材が数多くあるはずである。今回の実験もそういう位置付けのものとして,授業計画の中に盛り込むことができる。 科学の背後に見え隠れする『ひと』を意識することで,科学が生き生きとした広がりを持ち,生徒にとっても身近なものとして,また,科学者が特別な存在でなく,自分にもその素養があるかもしれないと感じるのではないかと思う。そういった取り組みも『理科離れ』を食い止める一つの方法ではないだろうか。 |