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No.2 |
前回は,近代科学の誕生はルネサンスと密接なつながりがあるという視点からレオナルド・ダ・ヴィンチを取り上げた。 しかし,近代科学の祖がガリレオ・ガリレイであることは一般に異存はないであろう。そこで,今回はガリレオ関連を中心に紹介したい。
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イタリア(2)科学史博物館(フィレンツェ) |
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ここは主としてガリレオ関係の物を多数展示している。木星の衛星の発見に使用された2本の木製の望遠鏡,世界最古の学会のアカデミア・デル・チメントで使用された数々の計測器や実験装置はあたかも美術工芸品であり,当時の職人が工房で製作し,王侯貴族が購入したものであろう。有名な力学斜面台は,斜面に平行して等間隔に小さな鐘が取りつけられ,球が斜面を転がる途中で次々に鐘を鳴らす仕掛になっている。このような方法で自由落下のスローモーションとして等加速度運動を見たのである。また,どういう訳か彼の右手の中指がある。 その他の展示品ではプトレマイオスの天動説に基づく直径3mもある大きな絢爛豪華な天球儀をはじめとする天球儀や地球儀の数々,ガラス器具,温度計など。さらにイギリスから大陸各地を旅行したディビーと助手のファラデーがトスカナ大公の前で太陽の光線を集めてダイヤモンドを燃やした巨大レンズも見ものである。 この施設は一般公開されているものの,来訪者に対するサービスといった感覚は全然なく,解説や教育的配慮もない。写真撮影は禁止で,係員の監視の目が鋭い。 隣接する大聖堂の天井から吊り下げられたシャンデリア(ランプ)の揺れるのを見て,ガリレオは自分の脈拍で周期を測り,振り子の等時性を発見した。この大きなシャンデリアを見上げるとはたして周期はどれ位なのか気になる。振り子の周期は長さだけで決まるので目測や歩測などでおよその長さの見当をつければよい。具体的なことは実際に試みていただくとして脈拍でも十分測定可能なゆっくりした周期であったことがわかる。現在のシャンデリアはその後交換されたものである。 「失楽園」の作者として知られるイギリスの詩人ジョン・ミルトンが若き日に盲目のガリレオを訪れている。孫のような青年に望遠鏡で月面を眺めさせ,自らは見えない目であたかも見えるように説明したという。実に感動的なシーンである。この経験は後に「失楽園」にも反映されている。 ガリレオの力学と天文学の集大成としての最後の著作「新科学対話」が執筆されたのもこの家である。しかしこれをイタリアで出版することは不可能であった。出版したのは新しく科学が育ちつつあったオランダのライデンの書店であった。1642年ガリレオは弟子のトリチェリー等に看取られて世を去った。ニュートンが生まれたのはその翌年である。力学の完成にはもう少し時間が必要であった。 1992年,コペルニクスと同じポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ2世は,ついにガリレオの破門を解いたのである。ガリレオの有罪判決(1633年)から実に359年後のことであった。 |
筆者紹介菊池文誠(きくちぶんせい)
1937年,神戸市生まれ。兵庫県立西宮高校,東海大学工学部応用理学科卒業。東海大学理学部物理学科勤務。専門:放射線物理学,物理教育学。 |