この教科書は、新しい高校化学教科書の一つの試みとして出版されたものである。著者のうち、坪村は大阪大学名誉教授で、専門は量子化学、分光学、光電気化学など。雨宮、堀川は大阪府公立高校の教諭で、3名とも従来の高校化学教科書執筆の長い経歴を持つ。
従来の教科書は文部科学省の学習指導要領に従い、定価の上限が規制されており、そのため、ページ数もあまり多くできず、厳重な検定を経て高校での教科書として使用することが認められている。したがって出版各社の努力にもかかわらず、その内容には制限があった。著者らはこれにあきたらず、あえて検定外教科書として、自由な内容、表現による新しい教科書を目指したものである。
内容の項目についてはおおむね従来の教科書に準じたが、次に本書の特長とする点について簡単に述べる。
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第1部においては近世までの化学の発展と原子・分子の概念の確立についてやや詳しく述べている。まず物質が原子、分子よりなることを強調し、化学式、反応式、およびその量的概念−原子量、モルなど−について従来より理解しやすいよう配慮した。
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第2部においては、20世紀以来の原子構造の知識の発展について述べた。物質の化学的性質を左右する原子の電子構造については量子力学による解明が必須であるが、従来の教科書ではこれを高校レベルを超えるものとして含まないことになっていた。本書では原子内の電子の構造のモデルを分かりやすく述べ、それから導かれる原子間の化学結合やイオンの生成の理由などを高校レベルでの数学、力学のみを用いて理解できることを示した。さらにその結果から、周期表に示される原子の性質を説明できることなどが示された。
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第3部では、気体、液体、固体の3態とその間の変換についておおむね従来の教科書の内容に準じて述べたが、その前提として、力とエネルギーの物理学について詳しく説明した。理想気体の性質、蒸気圧、融点・沸点などについても理解を深めるよう配慮した。
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第4部では、それまでに述べた原子・分子の理論をもとにして、周期表にしたがって基本的な原子やイオン、化合物の化学的性質が概観できることを示し、そのあと、酸・塩基と酸化・還元について集中的に説明した。これらは従来の教科書でも力を入れて記述される部分であるが、さらに理解度を深められるよう、意を注いだ。
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第5部ではまず化合物の持つエネルギーを生成エネルギー、結合エネルギー、反応エネルギーなどに分けて、それぞれの関係を数量的に理解できるように示した、ついで化学反応の速度についてまず現象論から説明し、そこから反応速度を律する活性化状態についてエネルギーの観点から説明した。また化学平衡の量的関係について述べた。
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最後の電気化学の章では、電極と液の界面の電位変化から、電極反応の速さについて説明した。これは従来の高校教科書や、大学での講義でも十分に説明されないことが多く、電極反応は難解と考えられる原因になっている。本書の説明によって電気分解、電池の性質について具体的な理解が得られるものと期待される。
以上、本書の特質について述べたが、これからも見られるように本書は高校での数学、物理を基礎として、化学を[考えて]理解できるものとして扱っている。したがって、一部の生徒には従来の授業で物足らなかった点を補うものとして歓迎されることになると期待される。しかし反面、最近の高校では化学だけを履修して、物理学をとらない生徒も多いといわれることから、本書の習得に困難を訴える生徒も多いかもしれない。この意味で、本書は現代の平均的な高校生に沿うものとして適当でないとの批判を受ける可能性はある。
しかし、高校の進学率が100%に近い数字に達した現在では、生徒の学力や将来志向に大きい差が生じている。したがって高校教科書も、これまでの全国一律のものでなく、それぞれ特長を異にするものが現れる方が自然であり、本書はそのうちで、化学や物理学に興味を持ち、将来理科系に進む意欲を持つ生徒を対象として書かれたものということができよう。
従来の検定教科書と違い、十分な紙幅がとれるので、本書では主要な理論については現代の最新の知識に基づき、可能な限り分かりやすく、かつ自らの考える力をはぐくんで、自然の現象を理解するように配慮した。反面、細かな物質個々の記述は生徒の理解をはぐくむ程度の最小限にとどめ、事物の暗記に悩まされることのないように配慮した。 また付録として現代の大学あるいは研究機関で行われている化学探究の方法や原理についても簡単に述べ、将来その道に進もうと考える生徒諸君の興味をそそるように配慮している。高校生の参考書としてだけでなく、社会人で科学の勉強に興味を持つ人、職業上化学を必要とする人にも、役に立つことが期待される。
本書はいわゆる大学受験対策のためにかかれたものではないので、この本だけで、今日の受験勉強には十分ではないことは明らかである。しかし、本書によって理論もよく頭に入ることになり、自分で考えて理解する力が増すことになれば、入試にはもちろん、今後の人生において大きな力となることになろう。
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