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数学

授業設計~学習指導案を通して~

柴田学園大学 非常勤講師 久慈 和寛

1.はじめに

教師であれば,学習指導案を書いたことがないという人はいないであろう。私は,大学4年生の教育実習に出かけるときの説明会で,「実習期間中に研究授業があり,そのときはこの様式に従って指導案を書くことになる。」と説明を受け,実際に研究授業でその様式に従って指導案を書いたのが学習指導案を知ったきっかけである。
その後,中学校の教師になり,その学校によって様式等が多少異なる部分はあったものの,特に問題になることも,疑問に感じることもなく教員生活を終えてしまった。本学で算数の指導案の書き方を指導することになり,学生から指導案の書き方(目標と評価の一体化)について質問を受けたとき,返答に困り,次回までの課題にさせてもらった。本を取り寄せたり,調べたりしているうちに,学習指導案の一定の様式は示されているが,それに対する意味づけや説明がなされている書物が少ないことを知った。そこで,今までの経験を踏まえ,学習指導案をその様式についてを含め,再構築してみた。

2.授業と実践と計画

(1)授業とは

我々教師が日々授業で満足することはほとんどない。それどころか,次から次へと新しい疑問が生じてくる。新しい方策を生み出しては,またそれを修正していく必要に迫られる。その必要性に迫られるたびに,授業はむずかしいと痛感する。
授業とは,学問・技芸などを媒介として,教える者(教師)と教えられる者(学習者)とが同時に関与し合っている営みである。授業での教師の活動は,一口に教え授けるという言葉では片付けられないほど,多種多様な働きをもっている。教師の活動から表出される情報によって,子どもたちは,考え,学び,習得していく。
とはいえ,教師の活動から表出される情報について,いつも子どもたちが反応するとは限らない。うなずいたり,挙手をして答えたりすることもあるが,むずかしい表情をしたり,無関心であったりすることもある。このような子どもたちの学習活動から表出される情報によって,教師は教え方に加減を加えたり,時には子どもを叱ったり,ほめたりする。
このように,授業の実際の場では,教師から表出される情報と,学習者から表出される多くの情報とが交錯し,それぞれの情報が対応しながら,緊張関係を維持している。その緊張関係を,教師と学習者とで作りあげていくところに特質がある。
学習者の処理活動から生じた「回答」作用の情報は,教師の診断活動から生じる「治療」作用を持った情報によって修正される。しかし,教師が提示する情報に対して,子どもたちは,教師の予測をはるかに超える反応や視点を示すことがある。そして,それらの反応にどう対処すべきか,教師はその判断と決断に迫られる。
授業過程では,学習者にとっても,教師にとっても,予測できない事態が生起し,予想外の反応が新しい事態へと授業を展開させていくことがある。これは,偶発的な要素が内在するからである。授業が情報の力動的な対応を前提としている以上,偶発的な要素を無視するわけにはいかない。
偶発的な要素は,教材研究を深め,子どもの認識の実態を極めることによって,範囲が狭小になる。しかし,いくら教材研究を極めても,教材そのものが発展している文化財であるため,固定的に決めつけてしまうわけにはいかない性格を持っている。また,子どもを知るといっても,子どもを取り囲む環境は制止していないし,子どもの認識の仕方は個性が強いため,一定の枠を決めて対処するわけにはいかない。
偶発的な要素の源泉には,教材自身の文化財性と子どもの可能性に根ざしたものであることを自覚して,教材研究と子どもを知っていく努力を積み重ねることが大切である。
偶発的要素の中で,価値のあるものとそうでないものとを何によって判断するか,一義的には決定し得ないむずかしい問題である。しかし,授業がある教育価値の実現を目途として営まれる目標追求の活動であることに着目すれば,そこに判断基準を設けることができる。予測できない事態とか予想されない反応といっても,それは目標追求という価値基準に照らして判断し,調整しなければ,授業でなくなってしまう。思いつき学習になってしまう。
予想外の反応や偶発的要素によって,新しい事態へと授業が進展するといっても,まったく無策のうちに無法状態を迎えるのではない。教師は,目標にどれくらい接近しているのかを値踏みし,調整をして,新事態へ発展させなければならない。
「授業は生きている」という主張や考え方が,目標や指導計画は曖昧であってよいとする議論に発展しがちであるが,それは授業の目標や指導計画と授業過程との混同である。「授業は生きている」のではなく,「生かしている」のである。授業過程で,偶発的な事象を取り上げ,目標に照らして調整できるのは,教師が入念な指導計画を立案しているからである。入念な指導計画なくしては,心のゆとりをもって不測の反応を取り上げることをできるものではない。
指導計画を背後にもち,心にゆとりをもって不測の反応や教師の枠を超えた発想を目標に照らして判断し,新事態への発展を決断して,目標追求への活動を続けていく。このような状況を,「授業は生きている」と呼ぶのであり,その裏には,教師にとっても,学習者にとっても,絶えざる選択,判断,決断が必要とされている。つまり,「生かす」努力が払われていることを忘れてはならない。

(2)授業実践とは

「教師は授業で勝負する」といわれるように,教師にとって授業は自己の専門性を発揮する場である。授業そのものは,きわめて実践的で現実的な営みであるが,授業の前には,事前準備として教材研究や子どもの実態把握,展開過程の設計などが必要である。また,授業の後では,指導計画とのずれを,どのように調節していくかを考えなければならない。
このように,授業としては,それを実行する前の準備と実行後の処置に不可分に結びついている。これは,実践からみた授業の特質といえる。この事前の準備・授業の実行・事後の処置の過程を授業実践と呼ぶ。教材研究の深さと幅,子どもの実態の分析と把握,それらを基礎にした展開過程の設計,これらの作業が事前準備の内容である。この事前準備は,多くの場合学習指導案として作成され,文書化される。
事前の準備が十分なときに,生きた授業が可能になるのであって,授業実践には必須の条件である。したがって,頭の中の案にとどめないで,メモ書き程度でも,要点を言語化して記述しておくことが望ましい。

(3)授業実践のシステム

授業を授業実践の概念でとらえようとする背景には,システム的な考え方が潜んでいる。この基本的なシステム化の手続きを,授業実践に適用してみる。まず,授業の目的を明確にし,それに即した授業計画案を作成する。それに基づいて授業を実行し,その実行結果を計画案と比較・検討して検証していく。さらに,授業の反省とその処置を基に,授業の評価と計画案の修正を行い,改善の作業を通じて次の仮説へと発展させていく。この一連の過程と手続きの全体を,授業実践,もしくは授業実践のシステムと呼ぶことができる。このシステムを通じて,授業の改善が行われ,その質が高められる。
実行としての授業は,授業実践の一部分であり,授業実践システムの中に位置づけられて,はじめて生きた授業になる。授業の展開途上で,予想をはるかに超えた反応や予測しがたい事態に対処し得るのは,学習指導案の作成に際し,十分に仮説を検証しておくからである。あるいは,過去の授業の分析と検討を積み重ねてきているからである。
このような日常の積み上げなくして,実行としての授業は,「かん」や「こつ」による思いつきの小手先の技能となり,その場しのぎの断片的な授業に陥るに違いない。この授業実践のシステムは,自然に存在するものではなく,教師が努力して作りあげる人為的なシステムである。

(4)授業計画の役割

授業計画には,4つの役割があると考える。
第1は,授業計画は授業の仮説であって,授業を通じて検証され,修正されることを予定されているということである。
授業計画としての学習指導案は,まず仮説としての役割を担っている。

第2は,授業の安全弁としての役割である。
学習指導案に展開過程の一挙手一投足までを記載することは不可能であり,その必要性は認めがたいが,可能な限度で詳細に記載することが大切であると考える。詳細に記述し得るのは,教材を無限に深く解釈し,発展させ,深化拡大した証拠であり,また子どもを十分に分析した結果,実態を把握できたからである。
つまり,詳しい学習指導案を作成することにより,安心して脱線できる授業に変えていくことが可能になるのである。詳しい学習指導案は,生きた授業にするための安全弁になっているといえる。

第3は,自分にとっての「タテ」の役割である。
計画→実行→検証・評価→改善というシステムの中で授業計画を立てるためには,教材に関する解釈や研究,あるいは子どもの実態研究だけでなく,授業や学習についての理論も追求しておく必要がある。詳細な学習指導案を作成するためには,教材・子ども・学習理論に習熟していかなければならない。そのためには,教師自身が不断の自己研修を重ねなければならない。学習指導案づくりを通じて,教職の専門性を磨き上げ,自己を成⾧させていくことができる。これが自分にとってのタテの役割である。

第4は,他の教師への「ヨコ」の役割である。
詳細な学習指導案は,作成者以外の教師にとっても,有効な利用が可能である。他人の作成した指導案であっても,それが一定の様式でもって,詳細にかつ具体的に記述されていれば,作成者の指導観や教材観だけでなく,指導展開の過程を客観的・具体的に看取りできる。したがって,自分に摂取できる能力さえ具備していれば,それを自分の授業に位置づけて,容易に書き直し,新しい学習指導案を短時間に作りあげることができる。これが,他の教師への「ヨコ」の役割である。

3.学習指導案としての指導プログラム(指導プログラムとは,どんな計画案か)

(1)指導プログラムと呼ばれる学習指導案

指導プログラムとは,「従来の学習指導案に教育工学的な内容や手法を取り入れた指導案」とか,「フローチャートを用いた新しい指導案」と書かれている。さらに,「内容的には,プログラム学習の教育観や学習のとらえ方を導入」しており,「方法論的には,情報処理における手法やフローチャート記号を適用している。」と述べられている。
しかし,指導プログラムには,プログラム学習の教育観や学習のとらえ方を導入しようとしているが,プログラム学習だけのための学習指導案ではない。プログラム学習のための学習指導案にすることもできるし,探究学習や発見学習のための指導案にすることもできる。広く授業のための学習指導案と考えればよいが,なぜプログラムという名称がついているのか明らかにしておく必要がある。それは,プログラム学習の実践的研究の中で追求された教育観や学習原理のうち,いくつかの素晴らしい考え方を指導プログラムは継承している。例えば,目標の明確化とそのとらえ方は代表的な例である。あるいは,積極的な反応の原理とフィードバックの適用なども,プログラム学習の研究の中で明らかにされた素晴らしい考え方であり,指導プログラムの中で生かされている。
プログラム学習は形態から見ると個別学習であるが,指導プログラムは一斉学習で,しかも集団授業の場合がむしろ多い。一般的には,指導プログラムは一斉・集団の授業に,プログラム学習の考え方を可能な限り取り入れた授業計画案である。

(2)プログラム学習の教育観や手法の導入

まず第1にあげなければならないのは,できる教育観を継承していることである。プログラム学習の基礎になった心理学(行動心理学)では,「ある行動の結果その人の行動が変容した場合に学習が成立した」というように用いる。行動の変容というのは,この場合「解ける」とか「説明ができる」というようになることを意味する。したがって,わかっているかどうかの詮索が問題ではなく,実際にできるかどうかが鍵である。なぜなら,実際にできるかどうかは内心の問題で,第三者にはとらえることができないからである。
できる教育観の具体的な表れである目標の明確化でも,プログラム学習の実践的研究で明らかにされた目標行動を継承している。指導の目標を,教師から見て子どもたちに達成してほしい方向目標で示すだけでなく,実際に子どもたちが到達するよう期待されている目標(これを目標行動とか行動目標と呼ぶ)を具体的に明記する。子どもたちが到達すべき目標に到達したら,どんなことができるようになるのか,その内容を行動の変容の言葉で表現し,指導プログラムに記載する。目標行動による目標の明確化は,できる教育観を支える大切な柱であり,指導プログラムがプログラム学習の学習観から授受した素晴らしい考え方である。
できる教育観を支えているもう1つの表れは,学習者の積極的な反応の生起を重視していることである。プログラム学習では,「Learning by doing」つまり,学習は「成したことに応じて成立する」と考える。「行動のないところに学習は成り立たない」と考える。プログラム学習で積極的反応の原理と呼ばれる。指導プログラムでも,学習者の反応(行動)を重視し,積極的な行動場面の設定を工夫しようと試みられている。プログラム学習は,個別指導の形態をとるが,指導プログラムの場合は学習形態が個別だけでなく,分団や集団の場合もあり,行動場面の設定が多様化している。
できる教育観を支えている3つめの表れは,一斉かつ集団授業の改善にある。そこで,一斉集団授業の抜本的な改善策として,次のような個別指導の様式を考え出した。学習者一人一人に「学習プログラム」と呼ばれる学習教材を与える。学習プログラムは,綿密な計画のもとに作成され,問いと正答の部分から成っている。それぞれの学習者は,自己の学習ペースで自学するのである。このように,プログラム学習は,各学習者の学習ペースに差異を認め,徹底した個別指導の形態をとる。
指導プログラムの中には,このようなプログラム学習の指導案もあるが,それだけでなく,集団授業や視聴覚教材を用いる授業など種々様々な方法や形態を包含する。しかし,集団での一斉多人数教育の形態であっても,できるだけ個人の反応をとらえ,個に応じた処置を随所に配慮した学習指導案を志向している。つまり,プログラム学習のように徹底した個別指導の形態に限定しないで,種々の学習形態を組み合わせることにより,学習者全員の積極的な授業参加と個への対処を重視した学習の個別化により一斉集団授業の改善を図っている。
学習プログラムの質を高めていくためには,学習者の反応(回答)を吟味検討し,それに基づいて修正する必要がある,という原理を指導プログラムは継承している。いわゆる学習者検証の原理の導入である。指導プログラムは授業の仮説である。実行による検証によって修正されることを予定されている案である。その検証は,授業という実践の場で,学習者の活動(反応)状況によって行われ,学習者の反応を吟味検討して修正する運びになる。ここにもプログラム学習の原理が生きている。

4.学習指導案の作成

(1)構成要素の検討

学習指導案は,単に指導しようとする内容を羅列すればよいというものではない。指導しようとする内容をいくつかの事項にまとめ,整理して記載する必要がある。
授業計画案として必要な要素を考えてみると,まず教科教育についての学習理論や授業観である。背景となっている学習理論や授業観が検証できるような事項が必要である。
例えば,教師が発見学習による思考を伸ばす学習に学習指導にねらいをおいたとする。教師は,まず学習理論としての発見学習を一般論としてではなく,それをある教科・教材の,授業の次元で具体的にとらえなければならない。しかも,その授業で子どもたちにどのような学習活動をさせることにより思考を伸ばしていくのか,自分の授業観を具体的に記述する必要がある。学習理論を授業の次元でとらえたり,授業観を具体化して記述する方法としては,そのいくつかをプログラム学習の手法から取り入れている。
教科教育についての学習理論の具体化は,教材観や指導観に強く表れてくる。したがって,1単位時間の学習指導部分だけでは記述に困難が伴うし,十分に表しにくい。教材観や指導観は,数単位時間を対象に記述する必要がある。したがって,数単位時間のまとめとしての単元全体の計画部分が必要になってくる。
学習指導案は,大きく分けて次の2つの計画部分から成り立たせる必要がある。

①「全体計画」の部分

②「本時の学習指導」の部分

授業観の具体的な表れは,指導方法や形態などの学習活動についての記述に見られるので,本時の学習指導の計画部分に直接反映してくる。しかし,これだけでは授業観の背景や基底になっている教科教育の学習理論が不明確で,指導計画案としては不十分なので,「略案」と呼ぶのである。
学習指導案を,教科教育についての学習理論や授業観から導かれた仮説の具体的な表現とするためには,「本時の学習指導」の計画部分だけでなく,「単元全体」の計画部分も欠如するわけにはいかない。

(2)学習指導案の作成者と指導者

学習指導案を作成する場合,冒頭の部分に,実施日,対象学級,実施場所とともに,作成者や指導者(授業者)などを記しておく必要がある。指導計画の作成者とその指導計画を使って授業を実施する教師とが一致する場合が多いが,必ずしもそうとは限らない。学年会や教科研究会,あるいは学校全体で検討して作成したり,地域の研究会で共同作成する場合もある。ところが,指導計画や指導案に作成者と指導者の区別が明示されているものが少ない。今後,教師がグループを作り討議を重ねて指導計画を作成することを一層活発にしなければ,きめ細かな指導をすることができないであろうし,また計画作成を能率的に進める意味合いからも共同作成が多くなるであろうから,この区別は明示しておくことが望ましい。

例 中学校数学 学習指導案

日 時 令和〇年〇月〇日 〇校時
対 象 A中学校2年B組(男〇名,女〇名,計〇名)
場 所 A中学校 数学科教室
指導者 A中学校 F教諭
作成者 A市数学科研究会

(場所は,対象と同じ教室であれば省略してもよい。)

(3)「単元全体」の計画部分の構成

実際には,ある1時間(1単位時間)の授業を実施するにあたって,単元全体の計画部分も含めて準備する。1つの単元の学習指導時数は,教科や領域によって多少異なる。つまり,1時間の授業の指導計画だけでなく,それをも含めた単元全体について検討し,それを単元全体の計画部分に記載する。単元全体の計画部分は,教科教育における学習理論や授業観の背景などを明らかにしていく部分であることからすると,次のような事項が必要となってくる。

①単元名

  • あるまとまりをもった教育内容の名称を書く。
    *題材,題目と記す場合もある。

②単元設定の事由

  • 学習教材の組織や学年系列との関連を明らかにする。
  • 教科教育の理論や学習者の認識の発達をふまえて記述する。
    *教材観,学習者(児童・生徒)観,指導観という事項名で記す場合もある。

③単元の指導目標

  • 単元の指導全体を通じて,学習者に形成させようとする指導のねらいを明らかにする。
  • 学習指導要領との関連を示しておくとよい。

④単元の教材構造

  • 単元を構成する小単位の学習教材について,その構造を図的表示や表によって提示する。
    *各教科の学習指導要領解説の「内容と構成」に明示されており,省略することもできる。

⑤単元の指導計画と配当時間

  • 単元を構成する小単位の名称(主題名)を記し,その指導順序と時間を明示する。
    *各主題名だけでなく,そのねらいや目標,主な指導事項を記す場合もある。
     本時の位置づけも記す。

①単元名
単元というのは,あるまとまりをもった教育内容の単位のことであり,学習者がまとまりのある認識を形成していく際の完結性のある学習経験の単位でもある。単元は,年間カリキュラム編成の際に設定するのが普通で,学習指導要領や教科書,教科用指導書などを参考にし,学習者の発達段階とその指向性を考慮しながら,教科の理論性や科学の系統・組織などを総合的に検討して設定する。また,単元というよりも,題材や題目と呼んだ方が適している場合には,題材名や題目名を書く場合もある。

②単元設定の事由
単元設定の事由というのは,なぜその単元を児童・生徒に学習させる必要があるのか,単元の教育上の意味づけを明らかにすることである。このため,教材観とか学習者(児童・生徒)観とか指導観という項目名を付けている場合もある。単元は,年間指導計画作成の段階で設定するものである。したがって,学習指導案作成の段階で,今一度,単元設定の意味を吟味し直してみることになる。
まず,学習教材の組織や学年系列での位置づけを明らかにし,その単元の位置づけを,教科教育の理論や学習者の認識の発達をふまえて記述する必要がある。そして,その単元を学習させていく際の学習理論や授業観を明らかにしていく。このように,授業の実施にあたって,単元の意味を再検討し,年度初めに設定した事由との間に相違が生じたかどうかを省みるところに意義がある。
「単元設定の事由」では,教科教育の学説や学習理論について触れなければならないが,それは,あくまでも単元内容の具体的教材に即して,しかも自分の解釈や考え方・とらえ方を視点として記述することが大切である。一般的な学説の紹介や学習理論の論文や解説にならないように注意する必要がある。
この教材が,1つの学習経験の単位として選ばれた根拠はどこにあるのか,なぜ,この学年のこの子どもたちに,この時期に学ばせるのか,そうしたことの由来,つまり事由を明らかにするための記述が「単元設定の事由」である。
単元設定の事由の記述の仕方には,種々の方法が考えられるが,必ず記述されなければならない要素がある。単元設定の事由が教科書に載っているからとか,学習指導要領に記載されている項目であるからとか,というような消極的なものであってはならない。教材に立ち向かう教師の姿勢や考え方,子どもを含めて授業に対するとらえ方や立場などを明らかにしていくのでなければならない。
単元設定の事由の3要素は,教材観,学習者(児童・生徒)観,指導観である。しかし,これらの3要素を別々に書く必要はない。また,特に学習者(児童・生徒)観を,「生徒の実態」という項目を設けて記述する場合もある。これらの3要素が,次の関係にあることを考えれば,一緒に包括的に記述するのが望ましいのではなかろうか。

*「単元設定の事由」は,教材観を中核とし,指導観ですべてを包み,記述されるべきであると考える。

記述にあたっては,学習指導要領などの資料や教科に関する専門書などを参考にして,自分の考え方を記述することが望ましい。

③単元の指導目標
単元設定の事由を明確にすることにより,単元全体の指導のねらいもはっきりしてくる。その指導のねらいを目標の形で表現したものが指導目標である。指導目標の形で表現するにあたっては,知識及び技能だけでなく,思考力・判断力・表現力や学びに向かう力・人間性も含めて記述する必要がある。また,指導目標の設定に際して参考にした学習指導要領との関連を示しておくことも大切である。
単元の指導には,3~4時限程度で終了するものから10数時限を書ける場合などがあるが,いずれの場合も,単元の指導全体を通じて,学習者に形成させようとする指導のねらいを明らかにしておかなければならない。
単元の指導目標の設定にあたっての直接のよりどころは単元設定の事由である。したがって,単元設定の事由の記述にあたって,十分な検討や配慮がなされていれば,単元の指導目標は比較的たやすく求めることができる。しかし,単元設定の事由の記述にあたっては,学習者の実態や認識の発達段階をはっきりと把握しておくのと同時に,教科・教材の性格やねらいについても理解していなければならない。この2つの内容が未消化のまま,単元設定の事由を通過した場合は,この単元の指導目標の段階で行き詰まってくる。さらには,学習者の実態や認識の発達状況は,日常の授業の実践を通して明らかになってくるものであるし,それを裏付ける学習理論の理解の程度によって,実践の深まりも変化を受ける。この授業実践における教師自身の評価の姿勢が,学習者の実態の把握に大きな影響を与える。
一方,教科・教材の性格やねらい(目標)は,科学の理論や教科教育の理論に根ざしているし,学習指導要領や教科書・指導書とも深い関連をもっている。これらについての理解の深さや洞察力の程度が,単元の指導目標の設定に跳ね返ってくる。

④単元の教材構造
小単位の学習教材のまとまりを主題という。単元の教材構造というのは,直接,授業レベルで学習の対象となる主題について,その相互関係や関連を表したものである。
単元の構造を表す場合,既習事項の内容と本単元の内容の構造とを,全体としてどのようにして表していくのが望ましいか考えてみる必要があるが,学習指導要領(各教科の解説)の「内容の構成」に記されているので,省略することもある。

⑤単元の指導計画と配当時間
各主題について,どの順序で学習指導していくか,どのくらいの時間をかけて指導するか,順序と配当時間を表すことになる。これが単元の指導計画と配当時間である。
それぞれの主題の名称の列記だけでなくて,それぞれの主題について,その目標や主な指導事項を付加すると,指導計画の内容がよりはっきりしてくる。
「単元の教材構造」まで詳細に検討できても,時間配当を誤れば,よい授業ができなくなってしまう。一般的によくいわれることであるが,教材研究が深く詳細になってくると,計画された時間で終わらないことが多い。単元の目標がよく授業に反映するような時間配当をするか否かが,ここでのポイントである。
単元の指導計画の中で,本時は何校時目であり,かつ,その後どのような順序で展開していくのかを明示することが大切である。1つの主題については,できれば1単位時間で終了するように配当するのが望ましいが,教科の性格や内容によっては,特に中学校などでは2時間連続の授業も可能なので,2~3時間で1つの主題を終了するような時間配当もあってよい。

(4)「本時の学習指導」の計画部分の構成

●本時の学習指導

①主題名

  • 単元の教材構造や単元の指導計画で明示した主題名を書く。
    *題材名と記す場合もある。

②本時のねらい

(ア)主題の指導目標

  • 単元の指導目標をより具体的にしたもので,本時の指導のねらいを教師の立場で記載する。
    *あわせて,指導上の留意事項も併記することが望ましい。

(イ)主題の目標行動

  • 明白な行動の言葉を用い,学習者の到達目標を具体的に記述する。
  • 評価可能な表現にする。

③主題の展開

  • 単位時間の指導展開について,指導内容,教授と学習の活動,学習情報の処理過程,教材・教具や教育機器,指導上の留意事項,時間配分などを構造的に表示する。

④評価および資料

①主題とその設定の仕方
教師(作成者)の授業観が具体的に表れてくるのは,本時の学習指導の計画部分である。何についての授業なのか,それを主題名で表現する。主題名は,授業レベルでとらえた小単位の学習教材のまとまりであり,直接に学習者が学習の対象として取り組む学習経験のまとまりである。この小単位の学習教材のまとまりのうち,本時の学習指導の主題名を最初に記載する。
単元は,学習者によって受け入れられ,1つの学習経験として学習者に認識されるような教育内容で構成されなければならないが,それは,直接に学習内容を誘発したり,擬態的な手がかりを学習者に与えるものではない。
学習者が直接自分の認識の対象として,主体的に取り組むのは,1時限を単位とした授業である。その1時限の授業を構成している教育内容のまとまりに対してである。この1時限を単位とする学習経験のまとまった教育内容を,「主題」と呼んでいる。したがって,単元そのものは直接は実際の授業での認識の対象にはならないが,主題は直接に実際の授業での認識の対象になる,細分された教育内容である。
主題の設定にあたっては,単に教科書の「節名」や「小見出し」をそのまま引用するのではなく,教材の論理的発展性と学習経験のまとまりの単位との両方を十分に考慮し,さらに,地域や学習者の実態も把握して,教師が主体的に決めることが大切である。
主題を設定するときは,まず,単元全体の指導目標とその内容を全体的に把握し,これに基づいて,教師自らが,主題の意味を生かしていくように指導内容を組み替える努力をする必要がある。これが教材研究である。
1つの主題の指導は,できれば1単位時間で終了することが望ましいが,主題の性格や内容によっては,2~3時間連続する場合もある。その場合は,「本次」と表し,本次の指導の展開は2~3時間分を連続して記述する必要がある。国語や英語のようにある言語教材を題材とした学習指導案の場合には,題材と主題を併記する場合もある。

②本時のねらい

(ア)主題の指導目標
「主題」とは,実際に学習者が授業で認識の対象として取り組んでいく,あるまとまった学習経験の単位のことである。この主題についての新しい学習経験を形成させていくのが,本時の指導のねらいである。この本時の指導のねらいを,主題の目標という。
この主題の目標は,学習指導案では欠くことのできない重要な要素である。特に,指導プログラムの考え方を取り入れたことにより「指導目標」と「目標行動」の両方を明記することになった。
主題の指導目標は,構造的に見ると単元全体の目標に包括され,それから導き出されるものである。したがって,単元の目標と比べると,目標の範囲も狭小になり具体的である。単元の目標は,直接学習者の認識の対象となる目標ではないが,主題の指導目標は,実際の授業の場で,教師が,児童・生徒に対して,どんなことを「知らせ」,何を「考えさせ」,どんなことを「理解させるか」を具体的に明らかにしたものである。場合によっては,ある事象を「気づかせる」ことや事実を「つかませる」こともあり,望ましい生活習慣を「養う」ことや「身につけさせる」ことを授業のねらいとし,その指導目標を具体的に明らかにすることもある。
指導目標は,教師(指導者)が学習者である児童・生徒に対して働きかける意図の内容を授業レベルで表現したものである。そこで示されているのは,教師が児童・生徒に1単位時間の学習を通じて,習得してほしい方向付けが内容になっている。指導目標の記述にあたっては,まず,その指導の方向を明らかにし,ついで,その方向付けのために必要な手がかりや方法とその内容を,関連付けて文章化することが大切である。つまり方向目標にすることが必要である。
指導目標に示された方向性は,その指導時間中,教師の脳裏にあって,指導姿勢の源泉となり,教授活動における言動や挙動へ強力に反映してくる。指導目標には,「知識及び技能」の習得に関わるものだけでなく,「思考力,判断力,表現力等」,「学びに向かう力,人間性等」についても考えておくべきである。また,「見方・考え方」等も大切な目標であり,重視するように留意したい。

(イ)主題の目標行動
目標行動は,従来の学習指導案にはみられなかったが,指導プログラムの考え方が取り入れられるようになって登場した事項である。指導目標は,指導者である教師の指導の意図を明らかにしたものであるが,目標行動というのは,学習者が指導の意図を摂取し主体化した場合に,実際にできるようになると期待されている行動を示している。ここで行動というのは,「書ける」「読める」「説明できる」「計算できる」「測定できる」「区別できる」というように第三者によって観察可能な外的な反応のことで,このような表現を「行動の言葉」と呼んでいる。このように学習者の到達目標を行動の言葉で表現すると評価規準が求めやすくなる。したがって,目標行動は評価可能な目標であるということもできる。
主題の指導目標は,単元目標を具体化,具体的な授業レベルでの目標を明らかにしたものであるが,それは教師が主題の学習指導を通じて,児童・生徒に習得してほしい方向の内容を,目標として表現したものである。このため,児童・生徒たちを「こう育てたい」という意図や心の変化を中心に記述することになる。そこで,目標を学習者の内面的な意識や心の変化の記述だけでなくて,意識や心の変化を外面からとらえ,第三者から見ても変化の様子がとらえられるような記述にしてみようという目標観がある。これが,「目標行動」である。
つまり,指導目標と同じように,直接学習者の認識の対象となる授業レベルでとらえた目標ではあるが,それを,学習者が習得し,「理解したり」「考えたり」「能力を付けたり」したら,実際にどんな形で,「述べたり」「書けたり」「やったり」できるようになるのか,外面的に表れてくる「行動」によって,目標を表すことである。これが目標行動である。したがって,目標の次元からみると,単元の指導目標に構造的に包括され,そこから導き出されるものであるが,指導目標が内面的な記述であるのに対し,目標行動は外面的な記述であるところに大きな差異がある。この目標行動を指導目標と併記し,目標の明確化を内面と外面の両方から図っていくところに特色がある。
目標行動は,学習者が実際にどんなことができるようになるのか,外面的に表れてくる行動を内容としているが,その行動は,目標に到達したときに可能となるものを指している。つまり,目標行動というのは,「目標となる行動」のことで,「1つの主題を学習後に具体的にできるようになると期待されている行動」を意味しており,その到達点での行動を指しているので,「到達目標」とも呼ばれている。あるいは,「成就目標」とか「操作目標」とも呼ばれ,「方向目標」と対置して用いられている。
目標行動を設定するに際しては,まず,指導目標の方向性を十分に把握し,学習者の意識や心などの内観にどんな変化が生じることを期待しているのかを分析してみる。次に,学習者の内観に変化が生じたと仮定し,その仮定を判定するには,学習者のどんな説明や記述あるいは動作や行為によって行うことが必要か考えてみる。「こういう説明ができれば,こういうことを理解している。」とか,「これが解ければ,この文章題の意味を把握している。」とか,「こういう指摘ができれば,この音楽の良さを鑑賞することができている。」のように,外面的な行動とな内面的な内観とを結びつけて,その関連を想像してみる。外面的な行動と内面的な内観との結び付きができたら,次に,それを学習者の最終的な到達目標になるように記述する。その場合,単に最終的な行動だけでなく,どんな方法や条件を用いて最終的な行動ができればよいのか,内容的な記述を脱落させないことが大切である。

③主題の展開

展開の書き方に決まった様式があるわけではない。ここでは,問題解決型の授業展開の指導案の一般的な様式を示すが,必ずしもそれにとらわれる必要はない。

段階 教師の働きかけ 予想される児童(生徒)の反応・活動 指導上の留意点及び観点別評価
(留意点(・)評価(◎)つまずきに対する手だて(〇))
導入
(〇分)
1 ・留意点
展開
(〇分)

2 学習課題

◎評価

○つまずきに対する手だて

まとめ
(〇分)

3 まとめ

◎評価

(評価の観点)

○つまずきに対する手だて

(ア)授業展開と教師の役割

問題解決型の授業の展開は,次のような過程を経るが,教師の教授行動もそれぞれの過程で異なる。

  • 教師による課題(問題)の提示
  • 個人やグループでの児童・生徒の問題の解決
  • 解決方法と結果の検討
  • まとめ及び発展・適用

(イ)課題と問題

問題解決の指導では,ある問題が,それに直面している学習者にとって,真の「問題」になっているかどうかが非常に重要である。ある問題が真の「問題(problem)」になるかどうかは,それに直面する個人によって異なる。教師が児童・生徒に提示する「課題 (task)」と,児童・生徒が問題意識をもって受け止めたものとしての「問題(problem)」を区別しなければならない。
ある学習者にとって真の「問題」であっても,別の学習者にとっては,教師が提示した「課題」のレベルに留まっているかもしれない。その課題が,授業のねらいを達成するのにふさわしいものであるか,学習者の実態から見て適切なものになっているかなども大切な検討事項である。教師は,学習者がその問題を解きたくなるような提示の仕方を工夫しなければならない。これこそが教材研究である。

(ウ)評価とつまずきに対する手だて

1単位の授業の中で評価の回数が決められているわけではないが,最低2回は必要ではないかと考える。
1回目は,学習者が課題を把握し,真の問題として取り組めるかどうか。2回目は,本時の授業で学習者がねらいを達成することができたかどうか。
評価を行うときには,どの領域の観点を評価しようとしているのかを明記するとともに,つまずいている学習者にどのような手だてを講じてつまずきを解消していくのか,明記しておく。それにより,学習者のつまずきの見落としを減らせるだけでなく,対応もスムーズになるし,慌てないですむことになる。これも大切な教材研究である。

(エ)指導上の留意点及び観点別評価

「指導上の留意点及び観点別評価」の欄には,評価以外に指導上の留意事項やワークシート,教具・教材や教育機器などについても詳細に記載することが大切である。

④評価及び資料
ここでの評価は,本時の学習指導全体を通しての評価であり,ねらいと評価の一体化という視点からも,本時のねらいを踏まえたものでなければならない。
また,授業展開の途上での使用を予定している教材類(スライド・TP・フィルムなど),プリント類(ワークシート・参考資料など),参考図書類なども記載しておくことが望ましい。学習指導案を他の先生方に利用しやすくすることを考えると,大変重要な事項である。
これ以外に,板書計画などを明記しておくことも大切である。

5.おわりに

指導プログラムという言葉は聞きなれない方も多いと思うが,学習指導案の作成に影響を与えていることを理解してもらうために,2節で簡単ではあるが説明させてもらった。もっと詳しく説明するべきではないかとも考えたが,学習指導案の作成という観点でこのようになった。1節でも述べたように,学習指導案には定まった様式があるわけではない。先生方の中には様々な工夫をされている方もいるのではないかと思っている。ぜひ提案いただいて共有し,授業の質の向上を図っていくことができたら幸いである。本提案がその一助となることを願っている。

〈参考文献〉